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あなたの周りにも、いませんか?
些細なことで突然キレる若者。 クレームをつけることに一切の躊躇がない大人。 「うちの子が被害者じゃなくてよかった」と、いじめを知ってホッと胸をなでおろす親。
こうした光景を見たとき、多くの人は「最近の若者は……」とか「あの親はどんな育て方を……」と、個人の資質の問題として片づけてしまいがちです。
でも、ちょっと待ってほしいんです。
これ、本当に「個人の問題」だけで説明できるんでしょうか?
18世紀の革命家が「英文法書」を書いたワケ
少し時代をさかのぼってみましょう。
18世紀のイギリスに、ウィリアム・コベットという人物がいました。農民の出身でありながら、政治運動にも深く関わった彼が、ある日「英文法書」を書いたんです。
「社会活動家がなぜ文法書を?」
それには、明確な理由がありました。当時のイギリスでは、正確な英語を書けるかどうかが、そのまま「階級を上がれるかどうか」に直結していたんです。英文法の習得は、庶民にとってのリアルな「上昇のチケット」でした。
だからこそコベットは、学習者にこう言いました。
習得に必要なのは小手先のテクニックではなく、「忍耐・辛抱・努力・継続」の四点に尽きる。
彼にとって英文法とは、言語の知識ではなく、自分を律してやりきる力そのものだったんです。
当時の学びには「苦労する価値」がありました。それが将来の自分を、社会を、変えていくという実感があった。
では、現代の教育はどうでしょう?
「競争をなくせば平等になる」という、善意のワナ
今の学校教育を見渡すと、こんな傾向が目立ちます。
- 運動会で順位をつけない
- 「嫌なことはしなくていい」という指導
- 苦手なことを無理に克服させず、得意なことを伸ばす
これ、一見するととても優しい教育に見えますよね。子どもへの配慮、個性の尊重。現代的で洗練されたアプローチのように聞こえます。
でも、ちょっと立ち止まって考えてほしいんです。
現実の社会は、競争と他者との関係性で成り立っています。就職活動があり、職場での人間関係があり、理不尽な出来事もある。「嫌なことはしなくていい」という環境で育った人が、そのリアルな世界に放り込まれたとき、何が起きるか。
「思っていたのと違う」「なんで自分だけこんな思いを」という感覚が、爆発的な怒りになったり、突然の精神的崩壊になったりするのは、もしかすると必然の結果なのかもしれません。
競争や苦労を教育から排除することは、「子どもを守る」のではなく、「子どもが現実と折り合う力を奪っている」だけかもしれないんです。
ノーベル賞学者が残した、ちょっと怖い警告
動物行動学者のコンラート・ローレンツ(ノーベル生理学・医学賞受賞)は、哺乳類の行動研究から、こんな結論を導いています。
「子どもの時に肉体的な苦痛を味わったことのない子どもは、大人になったとき、非常に不幸になる」
これは動物の話だけではなく、人間にも当てはまるとされています。
幼少期に「痛み」「辛さ」「我慢」を経験し、それを乗り越えた経験のない個体は、成熟する過程で精神的な不安定さが表れやすいというんです。
突発的な暴力、「キレる」という現象、大人になる直前での精神的な崩壊——。これらは、「苦痛のハードルを経験しなかったことによる精神の後退」として分析できてしまう。
少し怖くないですか?
善意で「苦労から守ろう」とすることが、長期的には子どもを最も傷つける結果になりうるという話ですから。
「加害者でよかった」——親の背中に映るもの
もうひとつ、考えさせられるエピソードがあります。
わが子がいじめに関わっていると知ったとき、「加害者側だった」とわかってホッとしてしまう親がいるといいます。
「被害者じゃなくてよかった」——。
その瞬間に消えていくのは、「うちの子が誰かを傷つけているかもしれない」という視点です。自分の子の「得か損か」しか見えなくなっている。
これは親を責めたいわけではないんです。ただ、子どもは親の「背中」から多くを学ぶという事実を、改めて考えてほしいんです。
かつての子どもたちは、言葉では教わらなくても、親の姿から「我慢」を学びました。
家族のために歯を食いしばる母親の姿。 理不尽な職場に揉まれながらも帰ってくる父親の姿。
そういう「忍耐のモデル」が家庭の中にあったからこそ、子どもの精神構造に芯が通っていたんじゃないかと思うんです。
大人自身が「我慢」を忘れたとき、子どもの精神に生まれる空白は、想像以上に大きいのかもしれません。
「感性で投票する社会」の、静かなリスク
こうした流れが、世代を超えて積み重なっていくとどうなるか。
論理的に考える習慣も、歴史から学ぶ姿勢も、困難に耐える精神力も育てられなかった人たちが、社会の主役になっていく。
そのとき、政治的な判断や社会的な選択はどう行われるか——。
「なんとなく好き」「なんか信じられない」「感じが悪い」。
刹那的な感性だけで国の方向性が決まっていく社会は、どれほど危ういものになるでしょうか。
これは決して「若者批判」をしたいのではありません。構造的に、社会全体がそういう方向に舵を切ってきた結果として、静かに、確実に進行しているリスクの話です。
じゃあ、どうすればいいのか
答えは、劇的なものではありません。
まず自分自身に、「正しい苦労」を課してみること。
スマホを置いて、難しい本を読む。 すぐに答えが出ないことに、じっくり向き合う。 子どもの前で、理不尽なことに耐える背中を見せる。
そして子どもに対しては、「守ること」と「鍛えること」をもう少しバランスよく考え直してみること。
「嫌なことをさせないこと=愛情」ではなく、「乗り越える経験を一緒に積むこと=愛情」という視点を、取り戻してみてほしいんです。
おわりに
コベットが英文法書に込めたメッセージは、言語学の話ではありませんでした。
「忍耐して、辛抱して、努力して、続けること」——それ自体が、人生を切り拓く力になるという確信でした。
その確信は、200年以上たった今も、本質的には変わっていないと思うんです。
「苦労をさせないこと」が最善の愛情だと信じる社会が、気づかぬうちに次の世代に何を渡しているのか。
一度、ゆっくり考えてみませんか?
参考:コンラート・ローレンツ(動物行動学者、ノーベル生理学・医学賞受賞)の研究知見、ウィリアム・コベット著『英文法書(A Grammar of the English Language)』(1818年)より
石原慎太郎氏と渡部昇一氏による対談で、「教育」「忍耐」「我慢」について語られました。
— 🌸上城孝嗣 (@taka_peace369) May 25, 2026
石原氏は、現代教育から「辛抱・努力・継続」が失われていることに警鐘を鳴らし、“悪しき平等”や競争を避ける風潮について持論を展開。… pic.twitter.com/aViVWX4lJh













