なぜ「良い人」ほど、この記事に動揺するのか
「もし本当に正義が存在するなら、刑務所は貧しい人々ではなく、政治家でいっぱいになっているはずだ」——SNSで一度は見かけたことがあるかもしれない、この一文。実はマキャヴェッリの著作に本当にこの言葉があるのか、確かな出典は見つかりません。それでも、この言葉が世界中で語り継がれてしまうのはなぜでしょうか。
答えは、私たちの「犯罪」の捉え方そのものに隠されています。万引きは目に見えやすく、すぐに罰せられる。一方で、粉飾決算や汚職といった「見えにくい悪」は、社会全体に薄く広く損害を与えているにもかかわらず、立件すら困難です。同じ「悪事」なのに、罰の重さがまるで違う——このねじれに、あなたは気づいていましたか。
さらに記事では、私たち自身の脳に潜む「利用可能性ヒューリスティック」という認知のクセにも踏み込みます。身近でわかりやすい出来事ほど強く記憶に残り、遠くで起きている巨大な不正には実感がわきにくい。つまり、私たちの「怒り」の総量は、社会に与えられた本当の損害の大きさとは、必ずしも一致していないのです。
歴史上の権力側の不祥事事例、日本社会が陥りやすい「わかりやすい悪だけを裁く」構造、そして最後には、絶望ではなく「気づいた人にしかできないこと」への招待状として締めくくっています。
読み終える頃、あなたのニュースの見方は、きっと少し変わっているはずです。
続きはこちら → 「もし刑務所が『本当の犯罪者』で埋まったら、日本はどう変わるのか」














