1945年8月11日。長崎に原爆が投下された、まさにその日のことです。
ホワイトハウスから一通の手紙が発送されました。差出人はハリー・S・トルーマン大統領。宛先はアメリカキリスト教会連合の事務総長です。
そこにはこう記されていました。
「彼らが理解できる唯一の言語は、我々が彼らを爆撃するために使用してきた言語であるようだ。獣を相手にしなければならない時は、獣として扱わなければならない。」
わずか数行の文章の中に、人類史上最大級の意思決定を正当化するロジックが凝縮されています。「獣」という一言で相手を人間以下の存在に貶め、「正義」を掲げて大量殺戮を肯定する——このパターンは、実は太平洋戦争だけの話ではありません。
なぜ本土決戦の回避という理由だけでは説明できない疑問が残るのか。なぜ広島からわずか3日後に、長崎への2発目が投下されたのか。そして、ソ連が対日参戦を宣言した「翌日」というタイミングは、本当に偶然だったのか。
歴史学者たちの間でも意見が分かれる「もう一つの見方」を交えながら、正義という言葉がどれほど都合よく暴力を正当化してしまうのか、そしてそのロジックが今も私たちの社会に生き続けているのではないか、という問いを掘り下げました。
答えはすぐには出ません。でも、立ち止まって考える価値のある問いだと思います。
続きは本編でどうぞ。














