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まずは「知る事」から始まる

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メディアへの「違和感」は、あなたの感覚が正しい証拠です

毎朝、スマホでニュースを開くたびに、なんとなく気持ちが重くなった経験はないでしょうか。「また不安になる話だ」「なんか大げさじゃないか?」——そのざわざわした感覚、実はあなたの認知が正常に機能しているサインなんです。

私たちはずっと、マスメディアを「社会の出来事を高い場所から客観的に俯瞰する、知的な観察者」だと思い込んできました。でもそれ、根本から間違っているんです。この思い込みこそが、現代人が抱える最大の知的な落とし穴と言えるかもしれません。


メディアは「不安」を売る商売です

マスメディアの本質を一言で言うなら、「不安のマーケティング」 です。

社会が平和で、みんなが穏やかに暮らしている——これはニュースになりません。視聴者の情動を揺さぶる「恐怖」や「怒り」こそが、最もクリック率が高く、視聴率を稼ぐコンテンツなんです。この構造、実は何十年も変わっていないんです。

昭和の終わりごろに起きた宮崎勤事件では、メディアは当時流行っていた「左翼過激派」というアナロジーを引っ張り出して、まるで組織的な陰謀があるかのように報道しました。今の時代に置き換えると、その「敵」が「テロ」に変わっただけで、構造はまったく同じです。

記憶に新しい例が、毎日新聞によるWikipedia誤報事件です。誰かがネット上にふざけて書いたいたずら投稿を、事実確認もしないまま「反行声明」として報道してしまったんです。なぜそんな初歩的なミスが起きるのか?それは彼らが「真実を追う」のではなく、「不安の物語に合うピース」を血眼で探しているからです。センセーショナルな話に飛びつく体質は、もはやメディアのDNAに刻み込まれた本能といっていいでしょう。


「またテロかも」と反応してしまうのは、あなたのせいじゃない

何か事件が起きるたびに、瞬時に「もしかしてテロ?」と思ってしまう——この反応、身に覚えがある方も多いと思います。これは意志の弱さでも、知識不足でもありません。メディアによる長年の「アンカリング(係留)」の結果なんです。

アンカリングとは、心理学の概念で、最初に与えられた情報が判断の基準点(アンカー)として脳に刷り込まれる現象のことです。日本ではオウム真理教事件、アメリカでは9.11以降、メディアが繰り返し繰り返し同じフレームで報道し続けることで、「不測の事態=テロリズム」という強力なアンカーが私たちの無意識に打ち込まれてしまいました。

これはある種の「社会的条件付け」です。パブロフの犬が鈴の音で唾液を分泌するように、私たちは特定の映像や言葉に反応して、自動的に恐怖という感情を呼び出すように訓練されてきたんです。メディアを無批判に受け入れるということは、自分の思考のハンドルを、見ず知らずの他人に渡してしまうことと同義なんです。


メディアは「観察者」じゃなく、「観察される側」です

ここが本稿でいちばん伝えたいことです。

私たちはメディアを「社会の外側に立って、物事を公平に見ている存在」だと思い込んできました。でも本当のことを言えば、メディア自身が社会現象のひとつに過ぎないんです。医師が患者を診断するとき、医師自身も病気になりうるように、メディアは社会の病を報告しているのではなく、メディアそのものが現代社会の病理の最も肥大した表れなんです。

「マスメディアに社会を観察する資格があると思っている時点で大間違い。マスメディア自身が観察されるべき社会現象だ」——この視点の転換は、最初は戸惑いを感じるかもしれません。でも受け入れた瞬間に、ニュースの見え方がガラッと変わります。

彼らは真実を伝えるフィルターではなく、私たちと同じ濁流の中に揉まれながら、その濁りをさらに増幅させている「当事者」に過ぎないんです。


カメラの向こうにいるのは「凡庸なサラリーマン」です

もうひとつ、大切な幻想を壊させてください。

テレビの報道番組を見ていると、キャスターやディレクターが、私たちより遥かに優れた情報と洞察を持っているように見えます。でも実際のところ、カメラから離れた瞬間、彼らはコンビニで弁当を買い、ネットニュースをぼんやりスクロールし、上司の顔色を伺いながら仕事をしている——私たちと変わらない普通の人間なんです。

カメラの前に立った瞬間に知的な超人に変わるわけではありません。むしろ、締め切りと視聴率プレッシャーに追われながら、組織の論理に従って動いている「サラリーマン」としての側面の方が、実態に近いでしょう。

彼らに特別なインサイダー情報も、社会の趨勢を見通す特権的な視座も存在しません。あるのは、数字と前例と上の顔色で動く、きわめて人間的な習性だけです。メディアが社会をリードしたことは、過去も今もなく、おそらく未来にもないでしょう。


今日から「ニュースを観察する人」になってみてください

ここまで読んでいただいた方には、もう同じようにニュースを見ることはできないはずです。

明日ニュースに触れるとき、こう問いかけてみてください。「この報道はどんな不安を煽ろうとしているのか?」「どのアンカーを使って私の思考を誘導しているのか?」——その視点を持つだけで、ニュースは「信じるもの」から「観察するもの」に変わります。

ニュースを社会理解の道具として使うのではなく、「社会がいかに機能不全に陥っているかを示す症状」として読み解く。そのメタな視点を手に入れたとき初めて、メディアという名の巨大な磁場から、私たちは自分の思考を取り戻せるはずです。

不安を売るビジネスモデルに気づいた人間は、もうその商品を買わなくて済みます。それがいちばん、静かで力強い抵抗なんです。


参考:本稿はマスメディアの構造的問題を社会学的視座から論じたものです。特定の報道機関や個人を攻撃する意図はなく、メディアリテラシーの向上を目的としています。

上城 孝嗣

日本を愛する人と繋がりたい🇯🇵🌸毎日「気づき」を提供するために発信中! 嘘を教える教育や、メディアに破壊され続けてきた日本人の魂。まずは何事にも好奇心を持ち、世界にも目を向ける事。これまで知らなかった多くの事を学ぶと全てが繋がって真実が見えてきます。 「知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である」

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