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まずは「知る事」から始まる

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あなたはこの碑文を、疑ったことがありますか

広島平和記念公園。原爆死没者慰霊碑の前に立つと、こう刻まれています。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

多くの日本人はこの言葉に、静かに頭を下げてきたと思います。しかし、ふと立ち止まって考えてみてください。この文には主語がありません。「過ちを繰り返さない」のは、いったい誰なのでしょうか。

原爆を落としたのはアメリカです。日本人ではありません。にもかかわらず、なぜこの碑文は、まるで日本人自身が過ちを犯したかのように読めてしまうのでしょうか。

この違和感に、戦後間もない時期、たった一人の外国人がはっきりと声を上げました。インドから来た国際法学者、ラダ・ビノード・パール判事です。今日は、彼が東京裁判で何を主張し、なぜ広島でこの碑文に「憤ろしい不審の色」を浮かべたのか、そして彼の警告が今の私たちにどう突き刺さるのかを、じっくり掘り下げていきたいと思います。読み終えたとき、あなたのなかの「当たり前」が、少し揺らいでいるかもしれません。

東京裁判とは何だったのか――おさらいしておきましょう

1946年から1948年にかけて開かれた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判は、第二次世界大戦後、日本の指導者たちを「平和に対する罪」「人道に対する罪」などで裁いた国際軍事法廷です。連合国11か国から判事が派遣され、東條英機をはじめとする戦争指導者たちが被告人として裁かれました。

結果として、7名が絞首刑、多くが終身刑という重い判決が下されます。しかしこのとき、11人の判事のうち、ただ一人だけ「被告人全員無罪」という意見書を提出した人物がいました。それがインド代表判事、ラダ・ビノード・パールです。

彼はカルカッタ大学の法学教授であり、国際法の専門家として東京裁判に加わりました。そして誰よりも冷静に、誰よりも論理的に、この裁判そのものの構造的な欠陥を突いたのです。

パール判決書の核心――「事後法」という致命的な矛盾

パール判事の主張の根幹にあったのは、極めてシンプルな法律論でした。それは「事後法による処罰は許されない」という、近代法の大原則です。

「平和に対する罪」「侵略戦争の罪」という罪状は、実は東京裁判やニュルンベルク裁判のために、いわば事後的に作られた概念でした。行為の時点では存在しなかった法律によって、後から裁くこと。これは近代刑法の根本原則である「罪刑法定主義」に真っ向から反します。

考えてみてください。もしある日突然、過去に遡って新しい法律が作られ、「あなたは10年前にこの行為をしたから有罪だ」と言われたら、誰でも納得できないはずです。パール判事は、東京裁判がまさにこの過ちを犯していると指摘したのです。

さらに彼が鋭かったのは、単なる法理論にとどまらなかった点です。彼は「これは法の裁きの姿を借りた、勝者による敗者への政治的リンチではないのか」という、裁判の正当性そのものへの根源的な疑問を投げかけました。

ここで一つ、問いを立ててみましょう。

もし戦争に敗れたのが日本ではなくアメリカだったら、原爆投下の責任者は「平和に対する罪」「人道に対する罪」で裁かれていたでしょうか。

この問いに、あなたはどう答えますか。

勝者の正義とは何か――裁かれなかった側の犯罪

パール判事が特に厳しく批判したのが、「勝者は裁く側に立ち、自らの行為は決して裁かれない」という東京裁判の構造そのものでした。

彼が具体的に俎上に載せたのが、広島・長崎への原爆投下です。数十万人ともいわれる非戦闘員、つまり一般市民を、一瞬にして、しかも無差別に殺戮した行為。もしこれが「人道に対する罪」に該当しないのだとしたら、いったいどのような行為がそれに該当するのでしょうか。

さらに、東京大空襲をはじめとする日本各都市への無差別爆撃、ソ連による日ソ中立条約を破っての対日参戦と満州・樺太での蛮行――これらもまた、戦勝国側の行為として、法廷で一切裁かれることはありませんでした。

パール判事はここに、「法」という名を借りた「力の論理」を見抜いていました。裁判とは本来、公平な第三者が善悪を判断する場であるはずです。しかし東京裁判では、検察官も判事も、その大半が連合国側の人間で占められていました。これでは「裁く側」と「裁かれる側」の力関係が、最初から固定されていたと言わざるを得ません。

もちろん、この見方に対しては反論もあります。日本軍による南京事件や捕虜虐待、東南アジア各地での加害行為が実際に存在したことも、否定できない事実です。パール判事自身も、日本軍の個別の残虐行為そのものを免罪したわけではなく、あくまで「共同謀議による侵略戦争の罪」という起訴の枠組みと、事後法による処罰という手続きの正当性を問題にしたのだ、という点は押さえておく必要があります。「全員無罪」という結論だけが独り歩きしがちですが、彼の意見書は非常に緻密な法律論の積み重ねの上に成り立っていたのです。

広島での事件――碑文をめぐる衝突

戦後、パール判事は何度か日本を訪れています。特に有名なのが、1952年11月に広島の原爆死没者慰霊碑を訪れた際のエピソードです。

当時の新聞記事や複数の証言によれば、パール判事は慰霊碑に献花し、黙祷を捧げたあと、通訳を通じて碑文の内容を聞きました。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。

彼は耳を疑い、何度も通訳に確認したといいます。そして、こう語ったと伝えられています。

「この碑文にあるのは、むろん日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭である。落とした者の手は、まだ清められていない」

そして、もしこの「過ち」が太平洋戦争そのものを指しているのだとしても、その戦争の種を蒔いたのは西洋諸国による東洋侵略であり、日本だけの責任ではない、とも述べたとされています。

この発言は当時大きな論争を呼びました。碑文の起草に関わった広島大学の雑賀忠義教授はパール判事に抗議文を送り、「この碑文の主語は日本人ではなく『われわれ全人類(We)』である。戦争という過ちを二度と繰り返さないという、全人類への誓いなのだ」と反論しています。実際、雑賀教授が用意した英訳では、主語は明確に”We”とされていました。

つまり、この碑文論争には少なくとも二つの見方が存在します。

  • パール判事の見方:主語が明示されていない日本語表現は、読み手に「日本人が過ちを犯した」という印象を与えかねず、加害国の責任を曖昧にしてしまう。
  • 雑賀教授の見方:碑文の精神はあくまで人類普遍のものであり、特定の国家や民族を主語にしていない。それこそが平和への祈りとしての普遍性を持つ。

どちらの解釈が「正しい」かを断定することは、実は簡単ではありません。しかし重要なのは、この論争そのものが、私たち日本人が「戦争の記憶をどう言葉にするか」という問題に、いかに無自覚だったかを浮き彫りにした、という点です。

なぜ日本人はここまで「主体性」を問われるのか

パール判事が繰り返し指摘したのは、単なる法律論だけではありませんでした。彼が本当に憂えていたのは、日本人自身が「自らの正義」を語ろうとしない姿勢そのものだったと言われています。

伝えられるところによれば、パール判事は「東京裁判によって、日本は何もかも自分たちが悪かったのだという宣伝を刷り込まれてしまった。その影響は、原爆の被害よりも深刻かもしれない」という趣旨のことを語ったとされています。

これは非常に重い指摘です。物理的な破壊は、時間とともに復興することができます。しかし「自分たちの歴史や行動をどう解釈するか」という精神の骨格そのものが揺らいでしまえば、その影響は何世代にもわたって残り続けます。

ここで、少し陰謀論的な視点も交えて考えてみましょう。戦後、GHQ占領下の日本では「WGIP(War Guilt Information Program、戦争についての罪悪感を日本国民に植え付けるための情報プログラム)」と呼ばれる政策が存在したのではないか、という説があります。これは、占領軍が新聞やラジオ、教育を通じて、日本人に戦争責任を過度に内面化させようとした、というものです。

この説については、学術的にも様々な立場があり、政策の存在自体を認める研究者もいれば、その効果や意図の解釈については慎重であるべきだとする研究者もいます。断定的な結論を下すことは難しいテーマですが、少なくとも「占領軍による情報統制が、戦後日本人の歴史認識に何らかの影響を与えた」という可能性そのものを、頭ごなしに否定してしまうのも、また思考停止と言えるかもしれません。

大切なのは、「誰かが仕組んだ陰謀だ」と一足飛びに結論づけることでも、逆に「そんな話は根拠のないデマだ」と切り捨てることでもなく、一次資料に当たり、複数の立場の議論を比較し、自分の頭で判断するという姿勢そのものではないでしょうか。パール判事が体現していたのも、まさにこの「権威や多数派に流されず、自分の論理で考え抜く」という態度だったように思います。

「事後法」という論点は、今の私たちにも突き刺さる

パール判事が指摘した「事後法による処罰は不当だ」という論点は、実は歴史の一コマとして片付けられる話ではありません。これは現代の私たちの社会にも通じる、普遍的な問いを含んでいます。

たとえば、ある時代の常識や規範に基づいて行われた行為が、後の時代の価値観によって一方的に断罪される、という構造は、形を変えて今もあちこちに存在します。過去の人物や出来事を、現代の基準だけで切り取って「悪」と断定してしまうことに、危うさはないでしょうか。

もちろん、これは「過去の加害行為を不問に付してよい」という意味では決してありません。史実として起きたことは起きたこととして、真摯に向き合う必要があります。パール判事自身も、個々の戦争犯罪行為そのものを免罪したわけではないことは、先に述べた通りです。

問われているのは、「誰が」「どのような手続きで」「どのような基準で」過去を裁くのかという、裁く側の正当性そのものです。この視点を持つことは、歴史を学ぶ上でも、現代のニュースを読む上でも、非常に重要な思考の軸になるはずです。

パール判事の言葉から、私たちは何を「気づく」べきか

ここまで見てきたパール判事の主張を、あらためて整理してみましょう。

  1. 東京裁判における「平和に対する罪」は事後法であり、近代法の大原則に反する。
  2. 勝者が敗者を裁く構造のなかで、勝者側の行為(原爆投下など)は不問に付されている。
  3. 広島の碑文に見られるように、日本人は自らの主体性をもって歴史を語ることを避け、曖昧な表現の中に責任の所在を溶け込ませてしまう傾向がある。
  4. 戦後の情報環境が、日本人の歴史認識そのものに大きな影響を与えた可能性がある。

これらを踏まえたうえで、最後に一つ、あなた自身に問いかけてみたいことがあります。

私たちは、自国の歴史について、他国の評価や国際世論に頼ることなく、自分自身の言葉で、堂々と語ることができているでしょうか。

パール判事が本当に望んでいたのは、日本人が「悪いことをしていない」と開き直ることではなかったはずです。むしろ彼が望んでいたのは、日本人が加害の事実にも被害の事実にも真正面から向き合い、そのうえで、誰の顔色もうかがうことなく、自分たちの歴史を自分たちの言葉で語れるようになることだったのではないでしょうか。

流されるのではなく、考える。断定するのではなく、問い続ける。そうした態度こそが、パール判事が半世紀以上前に、たった一人、法廷の孤独な椅子の上で貫いたものだったのだと思います。

碑文の前に立つとき、あるいは歴史の教科書を開くとき、私たちはもう一度、あの主語のない一文を思い出してもよいのかもしれません。

「過ちは繰返しませぬから」――その主語は、誰なのか。

その問いに答えを出すのは、他の誰でもない、私たち自身なのだと思います。


本記事は、公開されている歴史資料・新聞記事・研究をもとに構成した考察記事です。歴史的事象の解釈には複数の立場があり、本記事で紹介した見解がすべてではありません。読者の皆さん自身が一次資料に当たり、多角的に考えていただくきっかけになれば幸いです。

上城 孝嗣

日本を愛する人と繋がりたい🇯🇵🌸毎日「気づき」を提供するために発信中! 嘘を教える教育や、メディアに破壊され続けてきた日本人の魂。まずは何事にも好奇心を持ち、世界にも目を向ける事。これまで知らなかった多くの事を学ぶと全てが繋がって真実が見えてきます。 「知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である」

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