ライオンと同居し、ヤクザを腕一本で黙らせた男は、なぜスバルの祖となったのか
信号待ちで隣に並んだスバル車。そのフロントグリルに輝く「六連星」のエンブレムを、じっと見つめたことはあるでしょうか。
多くの人にとってスバルは、「アイサイト」の安全性能や水平対向エンジンの走行安定性で知られる、堅実なメーカーというイメージです。しかしそのルーツをたどると、私たちの想像を遥かに超える一人の「怪物」にたどり着きます。
その名は中島知久平。ゼロ戦のライバル機「隼」を生み出し、東洋最大の航空機メーカーへと会社を押し上げた男です。
農家の長男でありながら「馬賊」に憧れて家を飛び出そうとし、エリート海軍将校の道を捨てて33歳で野に下り、自宅ではなんと成獣のライオンを飼育して「眼力の稽古」と称していました。会社に因縁をつけてきた強面の男には、笑顔で「力比べをしよう」と持ちかけ、片腕にぶら下がらせて黙らせたというエピソードも残っています。
そんな型破りな男が設計思想の中心に据えていたのは、意外にも「人間への慈しみ」でした。戦闘機という殺戮兵器でありながら、パイロットの命を守るための防弾装備や、整備兵がケガをしないためのネジの形状にまでこだわり抜いたのです。
さらに彼は、敗戦の焼け跡で「日本はやがて儲けすぎだと非難される時代が来る」と、高度経済成長を正確に予言していました。そして戦争末期には、全長46メートルの幻の巨大爆撃機「富嶽」に、平和への矛盾した願いを託しています。
安定を捨て、常識に反逆し、それでも「人を生かす」ことだけは譲らなかった一人の男の生涯。その情熱がどのようにスバルというブランドへ受け継がれていったのか——詳しくは本編でお伝えしています。













