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日本はずっと「スパイ天国」だった
みなさん、知ってましたか?かつて日本は世界中の諜報機関から「スパイ天国」と呼ばれていたんです。
これ、単に「スパイが多い国」という話じゃないんですよ。もっとヤバい話で、国家機密をソ連に売り渡したスパイが捕まっても、懲役たった1年で出てこられたという、あり得ない現実があったということ。
元参議院議員の鴻池氏が暴露した証言によると、昭和60年(1985年)頃、防衛庁の「宮(みや)」という職員がソ連に機密情報を売り渡していたのが発覚。鴻池氏はこう語っています。
「ところがそいつ懲役1年や。どこの国でも死刑ですよ。」
どこの国でも死刑か終身刑レベルの重罪なのに、日本では1年で釈放。なぜそんなことになったかというと、スパイ行為そのものを裁く法律が日本には存在しなかったから。軽微な規定を無理やり当てはめるしかなかったというわけです。
これ、国家として完全に詰んでますよね。
「スパイ防止法」誕生を阻んだのは、まさかの身内だった
さすがにこの状況はマズいということで、有志の議員たちが「スパイ防止法」の制定に動き始めます。当然の流れですよね。
ところが——ここからが本題で、かなり闇が深い話になるんですが——法案を全力で潰しにかかったのは、野党ではなく自民党の内部にいた議員たちだったんですよ。
鴻池氏が名指しで挙げているのは以下の面々です。
- 谷垣禎一氏(後に財務大臣・法務大臣を歴任)
- 白川勝彦氏
- 村上誠一郎氏
いずれも自民党の有力議員。国家の機密を守るべき立場の与党内から、これだけの反対勢力が出てきたというのは、普通に考えておかしい話じゃないですか?
「朝日新聞×日弁連」という反対運動の巨大ネットワーク
では、なぜ自民党内の議員たちがここまで法案に抵抗したのか。そこには組織的な構図が見えてくるんですよ。
まず世論を動かしたのが朝日新聞。彼らは執拗なまでの反対キャンペーンを張り続けました。そして、その朝日新聞を「後ろ盾」として動いたのが、自民党内の弁護士出身議員たち。彼らは日弁連(日本弁護士連合会)の意向を受けて党内で動き、法案を内側から骨抜きにしていったという構図です。
メディア × 業界団体 × 与党内議員——この三角形が完成してしまったら、法案なんて通るはずがない。
陰謀論的に見れば、「スパイ防止法ができて一番困るのは誰か?」という話になってくるわけです。答えは明白で、外国の諜報機関のために動いている人間ですよね。法律ができれば自分たちが困る、だから全力で潰す——こういう動機が働いていたとしたら?
もちろん断言はできないんですが、あまりにも組織的かつ執拗な反対運動の姿は、「単なる人権上の懸念」では説明しきれない不自然さを感じさせるんですよ。
法案は「すっと消された」——その後の日本は?
結局、スパイ防止法は成立することなく、鴻池氏の言葉を借りれば「すっと消されて」しまいました。国家の危機から生まれた法整備の試みが、内側からの圧力によって跡形もなく葬られたんですよ。
その後の日本を見ると、情報漏洩問題は形を変えながら続いており、2013年に「特定秘密保護法」がようやく成立しましたが、これも大反対を受けたのは記憶に新しいですよね。
「法律ができて困る人が、最も激しく反対する」——この原則で考えると、過去も現在も、反対勢力の正体について改めて考えさせられるものがあります。
私たちが今、問い直すべきこと
スパイ防止法が潰された昭和の終わりから、もう40年近くが経とうとしています。
国際情勢は激変し、サイバー攻撃や情報戦は日常化しました。それでも「情報を守る意識」という面では、日本はまだまだ課題が多いと言われています。
鴻池氏の暴露が示しているのは、政治の意思決定が必ずしも「国民のため」だけに動いているわけではないという、不都合な現実かもしれません。
スパイ防止法ができて困る人は、スパイ確定でしょ——そのシンプルな問いを、私たちはもう一度真剣に考える必要があるんじゃないでしょうか。
この記事は鴻池祥肇・元参議院議員の証言および関連資料をもとに構成しています。










