イギリスで、ちょっと衝撃的なニュースが流れてきました。
2025年3月10日、英国議会の上院(貴族院)が、世襲貴族の議員を全廃する法案を可決したんです。これ、数百年続いてきた慣習が、ついに終わりを告げた歴史的な瞬間なんですよね。
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そもそも「世襲貴族が議員」って、どういうこと?
「貴族」と聞いて、ファンタジー小説の話かな?って思う人もいるかもしれないけど、これ、令和の現代の話です。
英国では、親から爵位(伯爵とか公爵とか)を相続した人が、選挙もなしに自動的に立法府の議員になれるという制度が長年続いてきました。「家柄がいい=国の法律を作れる」という、考えてみればかなりぶっ飛んだ話です。
さすがに1999年、当時の労働党政権がメスを入れて、世襲貴族の議席のほとんどを廃止。でも、なぜか92人だけは「経過措置」として残されていたんです。
その残り92席がついに今回、完全廃止になりました。
「うちの家は900年、上院にいたのだが?」という名言
今回、議席を失う貴族のひとりであるデヴォン伯爵が残したコメントが、ちょっとSNSで話題になっていました。
「自分の家は900年にわたり上院にいたのだ」
……900年。鎌倉幕府が生まれる前からですよ。そりゃ手放したくない気持ちはわからなくもないけど、「長く続いてきたから正しい」は、もはや民主主義の理屈じゃないですよね。
しかも伯爵は、「通知期間が雇用法の基準より短い」と不満を述べていたとか。いやいや、雇用法って、一般市民の労働者を守るための法律ですよね。自分たちが作った法律を、いざ追い出されるときに盾にするって、なんとも皮肉な話です。
「たまたまそこに生まれた」だけで国の法律に関与できる?
選挙改革協会の政策研究部長、ジェス・ガーランド博士はこう語っています。
「たまたまその地位に生まれついたというだけで、この国の法律に影響を与える人々がいるなど、現代の民主主義であってはならない」
まったくもって正論です。しかも、この改革は「遅すぎた」とも。
考えてみれば、世界中のあらゆる民主主義国家が「一人一票」の原則を掲げている中で、英国の上院だけは出生という完全に本人の意志とは無関係な理由で立法権を持てる状態が続いてきたわけです。
【陰謀論的視点】貴族たちは本当に「ただの伝統」だったのか?
ここから少し、深読みしてみましょう。
世襲貴族の議員制度が、1999年の改革でも「92人だけ残された」のはなぜでしょうか?完全廃止できたはずなのに、なぜ中途半端に残したのか。
一説には、当時の貴族たちとの水面下での取引があったとも言われています。「92人は残す代わりに、改革に反対しない」という政治的妥協の産物だ、というわけです。
さらに穿った見方をすると、世襲貴族のネットワークは金融・軍需・土地所有などの分野で今も強大な影響力を持っています。議席がなくなっても、彼らのロビー活動や資金力が政治を動かす構造は変わらない、という見方もできます。
つまり、「見える支配(議席)」はなくなっても、「見えない支配(資本と人脈)」は温存されたまま、という可能性は十分にあるわけです。
選挙で選ばれていない人間が法律を作るのは問題、という話をしている一方で、選挙に莫大なお金を流し込める側が「民主的な選挙」を事実上コントロールしているという構造は、英国に限らず世界中で起きていることですよね。
そして「他人事」ではない日本の話
記事を書きながら、頭をよぎるのはやっぱり日本のことです。
日本には「世襲議員」が非常に多い。特定の家から政治家が生まれ続け、秘書や後援会組織ごと引き継いで、選挙を戦う。世襲貴族ほど露骨ではないけれど、「政治家の子どもは政治家になりやすい」という構造的な問題は確実に存在しています。
「生まれた家で人生が決まる社会」は、貴族制度だけじゃなく、あらゆる形で私たちの周りに存在しているのかもしれません。
英国が900年の慣習を断ち切った今、私たちも「そういうものだから」と思考停止している慣習に、一度向き合ってみる必要があるんじゃないかな、と思います。
変化は、「遅すぎた」よりも、「起きなかった」よりもずっとマシです。
英国の今回の決断が、世界の民主主義に小さな風穴を開けてくれることを願っています。








