突然ですが、聞かせてください。
あなたは、自分がどこで、どんなふうに死ぬか、考えたことがありますか。
今、日本人の8割近くが病院で最期を迎える時代になりました。管につながれ、薬で痛みを抑え込まれ、意識も朦朧としたまま「その時」を迎える。かつて畳の上で、家族に見守られながら自分の言葉で別れを告げていた時代とは、あまりに違う光景がそこにあります。
死をどう迎えるか考えないということは、裏を返せば「どう生きるか」を真剣に考えていないことと同じかもしれません。
そんな問いを抱えて、私はある作家の言葉に立ち返りました。三島由紀夫です。
1945年8月15日、20歳の彼は「世界が終わる」と確信していました。ところが玉音放送の後に広がっていたのは、瓦礫でも血の海でもなく、ただ眩いばかりに輝く「緑の濃い夏の光」でした。世界の終わりのはずの日に、なぜ日常はこれほど残酷なまでに平穏なのか——。
この違和感こそが、彼の生涯を貫く問いになります。
「知的再建」を叫んで浮かれる戦後の知識人への冷めた眼差し。「現代人はもうドラマチックな死ができなくなった」という診断。「自分のためだけに生きられるほど、人間は強くない」という指摘。そして、死が隣り合わせだった10代の方が、今の「家庭の幸福」より純度の高い幸福感があったという、逆説的な告白。
物質的には豊かになったはずの私たちが、いつのまにか失ってしまったもの。それは「自分を超える価値」であり、限りある生をどう燃焼させるかという設計図なのかもしれません。
三島由紀夫が20歳の夏に見た「変わらない光」は、今も私たちの精神の深淵に、静かに問いかけ続けています。
あなたは今日、何のために生きていますか。
便利さと安全を追求し続けた先に、私たちが手に入れたのは、緊張感を欠いた「生の倦怠」だったとしたら——それは本当に、望んでいた幸福な社会なのでしょうか。
死生観を持つことは、死を賛美することではありません。むしろ、限られた時間をどう使うか、何のために自分を差し出すのかという、極めて実践的な「生き方の設計図」を持つことだと思うのです。
どこで死にたいか。誰と一緒にいたいか。何を成し遂げてから逝きたいか。こうした問いに一度でも真剣に向き合った人と、目を逸らし続けてきた人とでは、日々の生き方そのものが、きっと違ってくるはずです。
続きでは、三島の言葉を手がかりに、この問いをさらに深く掘り下げていきます。
「畳の上で死ぬ」ことを、三島由紀夫はなぜ恐れたのか?
— 🌸上城孝嗣 (@taka_peace369) August 18, 2026
死生観を失った現代人への5つの警鐘・・・
あなたは、自分がどこで、どんなふうに死ぬか、考えたことがありますか?… pic.twitter.com/7ZHd2eRDi0














