「原爆」と聞くと、私たちはいつも広島と長崎、1945年8月のあの数日間を思い浮かべます。でも、その”本番”のための最終リハーサルが、私たちのよく知る日本各地の街で行われていたとしたら、どうでしょうか。
その兵器には「パンプキン」という、殺戮とは似ても似つかない愛嬌のある名前がついていました。重さ4.5トン、全長約3メートル。鮮やかな黄色に塗られたその姿は、たしかにかぼちゃを思わせます。でもその中身は、原爆という兵器を「確実に成功させるため」だけに設計された、精巧な破壊装置だったのです。
「練習用」という言葉の響きは、どこか無害な実験を連想させます。けれど現実はまったく違いました。パンプキンは日本全国に計49発投下され、その”練習”の過程で約400人もの命が実際に奪われています。神戸の工場や寮も標的にされ、当時を知る証言者の記憶には、ガラスの雨と血だらけの人々の姿が今も鮮明に残っているといいます。
さらに驚くべきことに、広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」が日本で最初に従事した任務は、実は神戸などへの模擬原爆投下でした。そしてその神戸に落とされた4発のうち1発は、戦後80年近くが経った今もなお、行方が分かっていません。私たちが何気なく歩く道の下に、まだ発見されていない歴史が眠っているかもしれないのです。
戦後、投下したパイロットは「自分がしたことを誇りに思う」と語り続けました。一方で、標的にされた側には言葉にできない不条理だけが残されました。この溝の正体とは、いったい何なのでしょうか。
平和という地層の下に、どんな記憶が沈んでいるのか。続きでは、その全貌に迫ります。
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