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まずは「知る事」から始まる

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石原慎太郎氏が、靖国神社でひとつの和歌に出会いました。

詠み手は、90歳を超えた戦争未亡人の女性です。20代で夫と結ばれ、その直後に戦禍によって夫を奪われ、幼い子どもを女手ひとつで育てながら、夫の両親の介護まで引き受け——そんな峻烈な人生を、ただ黙々と生き抜いてきた人です。

その彼女が、70年近い歳月を経て、今の日本を見つめながら詠んだのがこの一首です。

かくまでも見にくい国になりたれば 捧げし人のただに惜しまる

読んだ瞬間、胸に何かが突き刺さる感覚がありました。


「無駄死にだったのかもしれない」という慟哭

この歌が恐ろしいのは、怒りではなく「後悔」が底に流れているところです。

夫の死を「誇り」として抱きしめ、それを生きる支えにしてきた彼女が、90歳になって「こんな国のために死ななくてもよかった」と言っている。「ただに惜しまる」とは、つまり「ただただ惜しい、もったいない、不憫でならない」ということです。

これは、生きている私たちが死者を二度殺しているようなものではないでしょうか。

先人が命をかけて守ろうとした「この国」が、いまやその犠牲の意味を自ら剥ぎ取るような場所になってしまっている——彼女の言葉は、そんな現実を静かに、しかし容赦なく突きつけてくるんです。


「外道」と呼ぶしかない話が、日本中で起きている

「見にくい国」とは、具体的にどういうことでしょうか。

たとえば、東京で実際に起きたこんな事件があります。40年前に亡くなった父親の遺体を自宅に隠し続け、ミイラ化するまで葬式も出さなかった——すべては、父の年金を受け取り続けるためです。

もはや「外道」と呼ぶしかない話ですが、恐ろしいことに、これは氷山の一角に過ぎません。政府がその実態の件数を公表しないまま、こうした事例が全国各地で繰り返されているんです。

親への愛情も、死者への敬意も、そこには一切ありません。かつて日本人の血肉だったはずの倫理観が、お金という物差しによって跡形もなく上書きされてしまっている。そう感じずにはいられません。


政治が「百年の大計」を語れなくなった日

精神的な土台が崩れれば、政治もそれを映し出します。

今の政治家たちは、信念を語るより、目先の支持を得るための「耳障りのいい言葉」を探すことに必死です。国民が聞きたいことを言うポピュリズムに流れていくと、守るべき本質——国民の尊厳、国家の誇り、長期的なビジョン——がどんどん後回しになっていきます。

北朝鮮による拉致問題は、その象徴です。数十人、いや200人近い可能性すらある自国民が今も異国の地で助けを求めているのに、何十年も実質的な進展がない。「自分の国民を自分で守れない国」が、どれだけ国際社会で尊重されるでしょうか。答えは、現実が示している通りです。


それでも、「あなたの死には意味があった」と言いたい

90歳の彼女の歌を前にして、私は考え続けています。

私たちは彼女の目を真っ直ぐ見て、「あなたの夫が捧げた命には、この国になるだけの価値があった」と胸を張って言えるでしょうか。

言えないとしたら、その責任の一端は、私たち一人ひとりの無関心や倫理の欠如にもあるはずです。「政治家が悪い」「社会が悪い」と言うのは簡単ですが、その社会を構成しているのは、私たち自身ですから。

彼女の一首は、怒りを煽るためのものではなく、「このままでいいのか」と問いかける静かな灯火だと思います。その問いを受け取った私たちが、どう生き、どう選び、どう次の世代につなぐか——それが、先人の犠牲に応える唯一の方法なのかもしれません。


90歳の未亡人が詠んだこの一首が、これからも私の魂を揺さぶり続けると確信しています。

上城 孝嗣

日本を愛する人と繋がりたい🇯🇵🌸毎日「気づき」を提供するために発信中! 嘘を教える教育や、メディアに破壊され続けてきた日本人の魂。まずは何事にも好奇心を持ち、世界にも目を向ける事。これまで知らなかった多くの事を学ぶと全てが繋がって真実が見えてきます。 「知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である」

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