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まずは「知る事」から始まる

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その「痛み」は、我慢するしかないのでしょうか

もし今夜、大きな地震が起きて、あなたが着の身着のまま避難所に駆け込んだとします。体育館の固い床に薄い毛布を一枚敷いて、隣の人との距離はわずか数十センチ。トイレは長蛇の列で、しかも和式で段差だらけ。お風呂には何日も入れず、食事は冷えたおにぎりが続く――。

「災害なんだから仕方ない」「命があっただけマシ」

私たちは、そう自分に言い聞かせて、この状況を受け入れてきました。でも、少し立ち止まって考えてみてほしいのです。それは本当に「仕方ない」ことなのでしょうか。それとも、本来なら防げたはずの「人災」なのでしょうか。

実際に、能登半島地震の被災地では、避難所で過ごす女性からこんな声が上がっていました。

「体が痛い。もうここは痛いんだ」

床に直接雑魚寝を続けることで、体のあちこちに痛みが走る。プライバシーがない中で着替えもできず、心がすり減っていく。これは、たった一人の忍耐力の問題ではありません。日本という国が抱える、災害対応の構造的な欠陥がむき出しになった瞬間だと思うのです。

そして何より考えてほしいのは、私たちは決して「貧しい国」ではないということです。日本は世界有数の経済大国であり、国民から所得税・住民税・消費税・社会保険料などを合わせれば、収入の半分近くを税金や社会保障費として納めている人も少なくありません。しかも税収は過去最高を更新し続けています。それだけの負担を国民がしているにもかかわらず、いざという時に国民の命と尊厳を守る仕組みが、これほどまでに脆弱なままでいいのでしょうか。

この記事では、日本の避難所が抱える「痛み」の正体を、台湾やイタリアという海外の事例と比較しながら、じっくりと掘り下げていきたいと思います。


衝撃の初動スピード:台湾はなぜ「4時間」で動けたのか

2024年、台湾東部の花蓮県で大きな地震が発生しました。このとき世界中が驚いたのは、その対応スピードです。

地震発生からわずか4時間後には、避難場所となった体育館に、驚くほど整った生活環境が用意されていました。

  • 完全な個室空間:体育館の中に、一つひとつ独立したテントが張られ、家族単位でのプライバシーが確保されていました。
  • 即座に整うインフラ:テントの中には簡易ベッドが備えられ、軍が動いてシャワー設備まで数時間で設営を完了させました。
  • 心と体をケアする発想:十分な食料や衛生用品の配布はもちろんのこと、被災者の疲労をほぐすためのマッサージサービスまで実施されたと報じられています。

これは単に「物資が豊富だった」という話ではありません。「被災した人には、休息と尊厳が必要だ」という明確な思想が、初動対応の設計そのものに組み込まれていたということです。

一方、日本ではどうだったでしょうか。段ボールベッドが避難所に届いたのは、発災から5日が経過してからでした。しかも、ようやくパーテーション(間仕切り)が設置された後も、多くの避難所では男女が同じ教室で寝食を共にせざるを得ない状況が続きました。

ある避難所にいた22歳の女性は、次のように語っています。

「周囲の目が気になって、着替えもままならない」

しかも、これは発災直後の混乱期の話ではありません。発災から10日目になっても、なお続いていた現実なのです。着替えという、人として当たり前の行為すら自由にできない――これは、国際的な人道支援の基準に照らせば、極めて深刻な「権利の侵害」だと言わざるを得ません。


世界の合言葉「TKB」:イタリアが守り抜く「48時間の壁」

避難所生活の質を左右し、そして災害関連死を防ぐための、世界的な合言葉があります。それが「TKB」です。

  • T(Toilet):清潔で安心して使えるトイレ
  • K(Kitchen):温かい食事を提供できるキッチン
  • B(Bed):床から体を離せる、質の良いベッド

避難所生活学会の関係者によれば、避難所先進国と呼ばれるイタリアでは、災害発生からわずか6時間以内に居住スペースやトイレの設置に着手し、48時間以内にはTKBを含む必要な資機材のすべてを整える仕組みが、国全体で標準化されているといいます。この考え方は現地で「TKB48(トゥエンティフォー・エイト)」という愛称で呼ばれ、単なるスローガンではなく、国の制度として組み込まれた具体的な仕組みなのです。

イタリアでは、大きな災害が発生すると、国の機関である「市民保護局(Protezione Civile)」が動きます。全国各地の倉庫には、避難所を丸ごと立ち上げるためのユニットや資機材があらかじめ備蓄されており、災害が起きればトレーラーに積んで被災地へと運び込まれます。トイレやシャワーが備わったコンテナカー、温かい食事を作るためのキッチンカー、家族ごとに使えるテントとベッド。これらが、発災から48時間以内にセットで届けられる仕組みが、あらかじめ用意されているのです。

特に注目したいのが「K(キッチン)」の考え方です。単に非常食を配るのではなく、温かい食事を提供することで被災者の体温と気力を保ち、体力の低下を防ぐ。これは「サービス」ではなく、命を守るための、極めて専門性の高い人命救助活動として位置づけられているのです。

「体が痛い」という声を、「仕方のないこと」として放置してしまうこと。それは、そのまま災害関連死のリスクを引き上げる行為に直結します。避難所の環境を整えることは、慰めや優しさの問題ではなく、命に直結する医療的・公衆衛生的な課題なのです。


なぜ日本では「避難所ガチャ」が生まれてしまうのか

日本では、避難所の設備が整うスピードが遅いというだけでなく、「どこに避難したか」によって支援の質に天と地ほどの差が生まれてしまうという、もう一つの深刻な問題があります。

避難所生活学会の理事長は、この理不尽な状況を「避難所ガチャ」と表現しています。運が良ければ設備の整った避難所にたどり着き、運が悪ければ何日も雑魚寝を強いられる。まるでガチャガチャを回すように、支援の質が「運」に左右されてしまう。これが日本の避難所の実態なのです。

なぜ、このような格差が生まれてしまうのでしょうか。その根っこには、日本の「災害対策基本法」という法律の仕組みそのものがあります。

日本の限界:すべてを「被災した自治体」に背負わせる仕組み

日本の法律では、避難所の運営は、被災した市町村が自ら行うことが基本とされています。しかし、考えてみてください。避難所を運営するはずの自治体職員自身も、家を失ったり家族を心配したりしている「被災者」なのです。しかも、庁舎自体が地震でダメージを受けているケースも珍しくありません。そんな極限状態の中で、平常時をはるかに超える膨大な業務をこなすことに、そもそも無理があるのです。

さらに、避難所の運営方法そのものが全国で標準化されていません。結果として、その自治体がどれだけの備蓄を持っていたか、担当者にどれだけの経験と判断力があったかによって、支援の質にそのまま格差が生まれてしまいます。「頑張った自治体」と「頑張れなかった自治体」の差が、被災者の健康と尊厳を左右してしまう。これはあまりにも酷な仕組みだと言わざるを得ません。

イタリアの合理性:「被災していない側」が丸ごと支援する仕組み

一方のイタリアでは、国の方針として、被災した自治体の代わりに「被災していない他の州や自治体」が、避難所運営そのものを丸ごと担う仕組みになっています。

つまり、支援する側は被災していない、心身ともに万全な状態のチームです。あらかじめ訓練され、資機材も整った状態で被災地に乗り込んでくるため、どの地域で災害が起きても、均一で質の高い支援を迅速に届けることができるのです。

「支援する人」と「支援される人」を切り分ける。この当たり前とも思える発想の転換が、日本にはまだ根付いていません。

現在の日本では、あなたがたまたまどこの自治体に住んでいるか、そして発災時にどの避難所に逃げ込んだかという「運」によって、あなたの健康と尊厳が左右されてしまう。これこそが「避難所ガチャ」の正体なのです。


「税金の半分」を払っている私たちへ、問いかけたいこと

ここで、あえて厳しい問いを投げかけたいと思います。

日本は、世界的に見ても経済規模の大きい国です。そして、私たちの多くは、所得税、住民税、消費税、社会保険料などを合計すると、収入のおよそ半分近くを国や自治体に納めていると言われています。しかも、ここ数年、税収は過去最高を更新し続けています。

それだけの負担を国民がしているにもかかわらず、いざ災害が起きたときに私たちを守るための仕組みが、台湾やイタリアといった国々に大きく後れを取ったままなのはなぜでしょうか。

「税金は取られるだけ取られて、いざという時に国民を守ってくれる実感がない」

そう感じてしまうのは、決して大げさな被害妄想ではないと思います。避難所の環境整備は、莫大な予算がなければ実現できない「夢物語」ではありません。実際にイタリアも、日本と同じように地震や火山噴火などの自然災害が多い「災害大国」です。それでも、制度と仕組みの設計によって、48時間という具体的な期限の中でTKBを整えることを実現しているのです。つまり、これは「お金の問題」である以上に、「制度設計と、国民の命をどう位置づけるかという意識の問題」なのではないでしょうか。

台湾にできて、イタリアにできて、同じ先進国である日本にできないはずがありません。


避難所の質を整えることは「贅沢」ではなく「権利」である

ここまで読んでくださった方の中には、こう感じる方もいるかもしれません。

「避難所でマッサージだなんて、贅沢すぎるのでは」「温かい食事なんて、非常時なんだから我慢すればいい」

しかし、もう一度立ち止まって考えてみてください。避難所の環境を整えることは、被災した人に「贅沢」をさせることではありません。過酷な状況に置かれた人間の健康を守り、絶望から救い出し、人としての尊厳を保つための、最低限の基本的な権利なのです。

床の上で何日も雑魚寝を続ければ、エコノミークラス症候群のリスクが高まり、体力のない高齢者や持病を持つ人ほど命の危険にさらされます。プライバシーのない環境で着替えすらできない状態が続けば、心は確実にすり減っていきます。冷たい食事が続けば、体温も気力も奪われていきます。これらはすべて、「災害関連死」という、本来防げたはずの死へとつながっていく道筋そのものなのです。

つまり、避難所の質を高めることは、「被災者への思いやり」という情緒的な話ではなく、具体的に人の命を救うための、極めて実務的な公衆衛生対策だということです。


おわりに:「痛み」を放置しない社会へ

自治体の自助努力だけに依存する、今の日本の避難所システムは、すでに限界を迎えていると言わざるを得ません。これ以上、住む場所や逃げ込んだ避難所によって命と尊厳の重みが変わってしまう「避難所格差」を放置しないためには、国全体で避難所の質を標準化し、支援体制そのものを抜本的に見直す制度改革が不可欠です。

もし今日、あなたが避難所へ行くことになったら。

そこは、安心して心と体を休められる場所でしょうか。それとも、いつ終わるとも知れない「痛み」に、ただ耐え忍ぶだけの場所でしょうか。

誰もが「当たり」の支援を受けられる社会へ。

私たちは、災害が起きてから慌てて声を上げるのではなく、平時の今だからこそ、この理不尽な現状に対して、「権利としての改善」を静かに、しかし確実に求めていく必要があるのではないでしょうか。

あなたの街の避難所は、今、どんな状態にあるか。一度、調べてみることから始めてみませんか。

【皆さんへのお願い】自分が知ってよかったと思えた情報は、大切な知り合いの方だけにでも教えてあげてください。「分かち合い」「支え合う」という姿勢がどんどん失われつつあります。

一緒に社会を変えていきましょう🌸「KIZUKI JOURNAL」「まほろば塾」の紹介もお願いします🙏

上城 孝嗣

日本を愛する人と繋がりたい🇯🇵🌸毎日「気づき」を提供するために発信中! 嘘を教える教育や、メディアに破壊され続けてきた日本人の魂。まずは何事にも好奇心を持ち、世界にも目を向ける事。これまで知らなかった多くの事を学ぶと全てが繋がって真実が見えてきます。 「知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である」

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