1983年、東京・有楽町。「漫画の神様」手塚治虫は、外国特派員たちを前にこう訴えていました。
「政治家の秘書から出版社に電話がかかってきて、『あの漫画家はもう描かせるな』と言われる」
露骨な圧力、見えない検閲、そして表現者に強いられる「魂の敗北」としての自主規制。手塚はそのすべてを、40年以上前にすでに見抜いていたのです。
そして彼はこう信じていました。「21世紀になれば、こうした不当な規制はなくなるだろう」と。
――その予言は、正しかったのでしょうか。
答えは「半分イエス、半分ノー」、そして本質的には、もっと残酷な形で裏切られたというものです。
法律による規制は確かに後退しました。でも代わりに現れたのは、アルゴリズムによる静かな検閲、コンプライアンスという名の相互監視、そして「炎上するかも」という恐怖が生む自己検閲。手塚が恐れた圧力は消えるどころか、誰も責任を取らない「透明な牢獄」へと進化していたのです。
なぜ『アドルフに告ぐ』でヒットラーを「人間として」描いたのか。「クールジャパン」は手塚の夢の実現か、それとも彼が最も嫌った内向きさの拡大再生産なのか。そしてAI時代に、表現の固有性はどこへ向かうのか。
40年前の警鐘は、今この瞬間も鳴り続けています。
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