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まずは「知る事」から始まる

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2011年3月11日、午後2時46分。

マグニチュード9.0の巨大地震が東北を中心に日本を襲い、その後押し寄せた津波が沿岸部を根こそぎ飲み込んでいきました。死者・行方不明者は約2万2,000人。戦後最大規模の自然災害となった東日本大震災です。

あの日、シンディ・ローパーは日本にいました。

来日ツアーの真っ只中で、まさに公演の準備をしていた最中での出来事でした。停電が相次ぎ、余震が続き、街全体が不安と混乱に包まれていた。普通なら即座に帰国の手配をしても、誰も責めることのできない状況でした。実際、多くの海外アーティストやスポーツチームが相次いで公演や試合をキャンセルし、次々と日本を離れていきました。

でもシンディは、残ることを選んだのです。

「日本の人たちを元気づけたい」

そのひと言がすべてを物語っています。彼女は公演を予定通り決行し、停電の影響で十分な照明も使えない中、それでもステージに立ち続けました。観客の前で歌うことが、今自分にできる最大のことだと信じていたのでしょう。その判断には、パフォーマーとしての覚悟と、日本という国への深い愛情が滲み出ていました。

シンディ・ローパーと日本の縁は、実は1980年代のデビュー当時から続く深いものです。「Girls Just Want to Have Fun」や「Time After Time」で世界を席巻した彼女は、日本でも熱狂的に迎えられ、以来何度もこの国を訪れてきました。単なるビジネスではなく、日本の文化やファンへの親しみが本物だったからこそ、あの状況でも「逃げない」という選択ができたのかもしれません。

震災後、彼女の行動は一度きりでは終わりませんでした。

毎年3月11日が近づくたびに、シンディはSNSや各種メディアを通じて追悼のメッセージを発信し続けています。「あの日のことを忘れない」という言葉は、時が経つほどに重みを増していきます。世間の関心が薄れ、報道も減っていく中で、それでも声を上げ続けることは、実は非常に難しいことです。彼女のその姿勢が、国際社会に対して「被災地への関心を持ち続けることの大切さ」を静かに、しかし力強く訴え続けてきました。

そしてもう一つ、この話を語る上で欠かせない楽曲があります。

「トゥルー・カラーズ(True Colors)」です。

1986年にリリースされたこの曲は、傷ついた人、自分に自信を持てない人に向けて「あなたの本当の色(=本来の姿)は美しい、だから胸を張って」と語りかける、シンディの代名詞とも言えるバラードです。震災後にこの曲を改めて聴くと、歌詞の意味がまるで違って響いてきます。悲しみの中にいる人、前を向こうとしている人、すべてに寄り添うような普遍的なメッセージが、時代を超えて生きていることを実感します。

停電の中でステージに立ち、歌い続けたあの夜——シンディ・ローパー自身もまた、「トゥルー・カラーズ」を体現していたのではないでしょうか。

音楽に国境はない、とよく言います。でもその言葉は、リスクを取って行動した人だけが本当の意味で口にできる言葉だと思います。あの震災の日、日本に残って歌い続けた一人の女性アーティストが証明したのは、音楽の力だけじゃなく、「人としての誠実さ」でした。

15年が経った今も、3月11日が来るたびにシンディのことを思い出す日本人がいます。それはきっと、偶然ではありません。


上城 孝嗣

日本を愛する人と繋がりたい🇯🇵🌸毎日「気づき」を提供するために発信中! 嘘を教える教育や、メディアに破壊され続けてきた日本人の魂。まずは何事にも好奇心を持ち、世界にも目を向ける事。これまで知らなかった多くの事を学ぶと全てが繋がって真実が見えてきます。 「知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である」

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