「どんな状況でも、尊く、強く、正しく、清く生きろ」
この言葉を残した男の人生は、まるで小説よりもドラマチックだった。結核、戦場、ヒマラヤ――波乱という言葉すら生ぬるいほどの半生を歩んだ中村天風という人物を、あなたはご存知ですか?
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軍事探偵として戦場へ、そして”死”との対峙
中村天風の人生は、10代の頃からすでに常人とはかけ離れていた。日露戦争では軍事探偵として従軍し、命がけの任務を果たしていたんです。「強さ」を語るにふさわしい経歴と思いきや、戦争が終わると天風を待ち受けていたのは、当時「死の病」と恐れられた結核だった。
肺を蝕まれ、体力を奪われ、あれほど自信に満ちていた男が、みるみる弱っていく。体だけじゃない。心まで折れていった。「自分はなぜ生きているのか」「人はどう生きるべきなのか」――そんな問いが、追い詰められた天風の頭を埋め尽くすようになっていった。
答えを求めて欧米へ。でも、どこにも”それ”はなかった
人生の真理を求めた天風は、欧米への旅に出た。当時一流と名高い哲学者や宗教家を次々と訪ね歩いたんです。でも、どれだけ対話を重ねても、自分の魂が求める答えは得られなかった。
「これだ」と膝を打てるものが、何もない。
失意のまま帰国を決意した天風が乗り込んだ船の旅路で、運命は突然動き出した。
ヒマラヤの麓での”目覚め”が、すべてを変えた
帰路の途中、天風はヨーガの聖者カリアッパ師と出会う。そしてヒマラヤの麓に招かれ、そこで指導を受けることになった。
山の静寂のなかで師の教えを受け続けた末に、天風はある真理を悟った。
「自分は大宇宙の力と結びついている、強い存在だ」
言葉にすると単純に聞こえるかもしれない。でも、これは頭で理解するものではなく、全身全霊で”体感”するものだったんです。この気づきを境に、天風の身体に起きていた結核の症状は癒えていった。病を克服し、運命を自分の手で切り拓くという、奇跡のような体験だった。
「自分だけが知っていてはいけない」――講演活動の始まり
帰国した天風は実業界に飛び込み、そちらでも成功を収める。でも、その心の奥底には、ずっと消えない思いがあった。
病に苦しむ人、貧しさに喘ぐ人、悩みの中でもがいている人――そういう人たちを、自分の体験で救えるんじゃないか。
大正8年、天風はついに動いた。自らの壮絶な経験をもとに「人間の命の本来の在り方」を研究し、「心身統一法」を創見。講演活動を始めたんです。
皇族も財界の重鎮も、みんな「師」と仰いだ
天風の言葉は、触れた人をたちまち虜にした。小手先の自己啓発ではなく、死線をくぐり抜けた男の肉声から出てくる哲学は、聴く者の心の深いところに刺さった。
皇族、政界・財界の重鎮、各界のトップ——錚々たる面々が天風を「生涯の師」として心服していった。昭和43年に天風はこの世を去ったが、今もなお天風門人となる者が後を絶たない。
「どんな状況でも、尊く、強く、正しく、清く」
この言葉が、今もなお色あせない理由がわかる気がしませんか?
天風の哲学は、安全な場所から生まれた理論じゃない。戦場、病、絶望、そしてヒマラヤ——それだけの経験を経た人間が、命を削って辿り着いた言葉だから、時代を超えて人の心を揺さぶり続けているんだと思う。
どんなに苦しい状況にあっても、人間は本来「強い存在」だ。中村天風が伝えたかったのは、きっとそういうことだったんじゃないでしょうか。







