「私たちが生きているこの世界は、高度なシミュレーションである可能性が非常に高い」──これは映画の台詞でも、オカルトの戯言でもなく、世界屈指の天才起業家・イーロン・マスクが公の場で繰り返し語っている言葉です。
目次:Contents
そもそもシミュレーション仮説ってなに?
この考え方の理論的な土台を作ったのは、オックスフォード大学の哲学者ニコラス・ボストロムです。2003年に発表した論文「Are You Living in a Computer Simulation?」の中で彼は、ざっくり言うとこんな問いを投げかけました。
「テクノロジーが十分に発展した文明は、祖先の歴史をリアルにシミュレートできるはず。だとしたら、”本物の現実”よりシミュレーションの数の方が圧倒的に多くなる。ならば、私たちが今いる世界もシミュレーションである確率の方が高くない?」
この論文を読んだマスク氏は完全にハマってしまい、2016年以降、さまざまなインタビューやトークで「基底現実(本物の現実)にいる確率は数十億分の1だ」と繰り返し発言しています。
TVゲームの進化が”証拠”になる?
マスク氏がこの仮説を支持する根拠のひとつが、ビデオゲームの進化スピードです。
1970年代の「ポン」という白い点が画面を行き来するだけのゲームから、今や4Kの超リアル映像でオープンワールドを自由に動き回れる時代になりました。この進化がたった50年足らずで起きたことを考えると、さらに何百万年も先に進んだ文明が作り出すシミュレーションは、私たちには現実と区別がつかないレベルになるはずです。マスク氏は「そう考えれば、私たちがシミュレーションの外にいる可能性はほとんどない」と言い切っています。
上位の存在が”宇宙版AWS料金”を払っている?
ここで面白い比較が浮かび上がります。マスク氏自身がAmazonのクラウドサービス「AWS」のような仕組みをイメージしているかのように、誰かがサーバー代(宇宙の計算コスト)を払いながらこの世界を動かしているという発想です。
そして、上位の存在がそのコストを払い続けるモチベーションはなんでしょう?それはきっと「面白いかどうか」です。退屈で予測通りの展開しかないゲームはすぐに飽きられます。逆に言えば、この世界が続いているということは、まだ”面白い”と思われているということかもしれません。
そして恐ろしいのは逆のケースです。もし上位の存在が「もう飽きた」と感じたら──ゲームは強制終了です。
AIとロボットの進化が仮説に現実味を加える
以前ならSFの中の話だったシミュレーション仮説が、最近急にリアルに感じられるようになってきた理由のひとつが、AIとロボット技術の爆発的な進化です。
ChatGPTをはじめとする生成AIは詩を書き、コードを書き、絵を描き、会話をします。マスク氏が率いるSpaceXのロケットは自律的に着陸し、Tesla(テスラ)の自動運転は日々進化しています。さらにはヒューマノイドロボットが工場で働き始め、「人間という存在を超えようとしている」現実がすぐそこまで来ています。
自分たちが作り出したAIが自分たちを超えていく様子を見ていると、「もしかして、誰かがそのまた上位から私たちを見ながら同じことを感じているのでは?」という感覚が生まれてきます。
科学者たちも本気で研究している
「これはマスクが変なことを言っているだけでは?」と思いたいところですが、実はシミュレーション仮説は科学の世界でも真剣な研究対象になっています。
例えば、物理学者たちは「量子力学の観測問題」(観測しないと状態が確定しない)を「ゲームが描画されるのは見ている時だけ」という発想と結びつけて考察しています。また、宇宙が離散的な最小単位(プランク長)を持つことも、デジタル空間のピクセルのように見えると指摘する研究者もいます。コロンビア大学やMITでも、この仮説を検証するための理論的枠組みが研究されているほどです。
で、私たちはどう生きればいいの?
仮にこの世界がシミュレーションだとしても、私たちの痛みも、喜びも、愛も、すべて「体験」としては本物です。だから日常を虚無に感じる必要はまったくありません。
むしろマスク氏的な発想で言えば、「いかに面白く生きるか」がキーになってきます。ゲームが続くのは面白いからです。予測不能で、情熱的で、創造的な存在でいることが、ある意味「世界の存続に貢献している」とも言えるかもしれません。
誰かが作ったゲームの中で生かされているとしたら──あなたはどんなキャラクターでプレイしますか?
これほどスケールの大きな仮説が、哲学・物理学・テクノロジーの最前線で同時に語られている今は、なかなかない時代かもしれません。真剣に「私たちは何者なのか」を問い直す機会として、一度立ち止まって考えてみるのも悪くないですよ。







