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まずは「知る事」から始まる

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まず、こんな経験ありませんでしたか?

中学校に入って、数学に「文字」が登場した瞬間、なんか違和感を覚えた人っていませんか?

「2x = 6、だからx=3」

先生はサラッと説明するんですが、当時、どこかモヤっとした感覚があった人もいるはずです。 「でも……xって文字でしょ? 3って数字でしょ? 文字と数字が同じって、なんか変じゃない?」

この違和感、実はめちゃくちゃ正しい感覚だったんです。

そして今からする話は、その「正しい感覚」をどうして学校が黙らせてきたか、そしてそれが社会全体にどんな影響を与えているか、という少し怖い話です。


「a=b」が許せない子どもたちの正義感

塾や家庭教師で中学生を教えた経験のある人なら分かるかもしれませんが、代数につまずく子どもたちにはある共通のパターンがあります。

「xは文字です。3は数字です。文字と数字は違います。だから x=3 なんておかしい。」

これって、論理的におかしいですか?

むしろこの感覚こそ哲学的に正しいんです。

「a」と「b」は違う文字です。それを「a=b」として扱えと言われた瞬間、その子の中では何かが壊れる感覚がある。「全然違うものを同じにするなんて、それはルール違反じゃないの?」という一種の倫理的な抵抗が起きるんです。

これは「勉強ができない」じゃなくて、人間としての正常なセンサーが反応しているということです。

ミカンとリンゴが違うのは当たり前。「どちらも”果物”として=でくくれる」と言われた瞬間、「でも俺、リンゴアレルギーなんだけど?」と反論できる感覚、これが生きるための本物の知性なんです。


「何でもあり」の世界に人間の意識が馴染まされていく

でも、学校では「a=b」を当たり前に扱えた子どもほど点数が上がります。

その子たちはどんどん進んでいく。 つまずいた子は「算数が苦手な子」のレッテルを貼られて、脇に置かれていく。

でも、実はここに見逃せない選別が起きているんです。

「概念を柔軟に同一視できる子」=コンピューター的な思考と親和性が高い子。 「感覚的に”違うものは違う”と感じる子」=その感覚を持て余して芸術や職人の道に進んだりする。

コンピューターの世界は、0と1だけです。0はどこまでも0、1はどこまでも1。でも「0と1」という違うものを判定し処理することで動いている世界です。

その世界観に子どもたちを馴染ませる訓練として、学校教育の数学が機能しているとしたら……これ、ちょっと怖くないですか?


陰謀論的に考えてみると……

ここからは少し視点を変えて、あえて「陰謀論的な読み方」をしてみましょう。

現代社会は、人間をデジタル的な処理単位として扱うほど都合がいい仕組みになっています。

  • 偏差値で人間をランク付けする
  • 収入・年齢・スペックで人間を評価するマッチングアプリ
  • SNSのフォロワー数・いいね数で影響力を「数値化」する
  • 就活でのSPI、適性検査……すべて「人間を0と1に変換するシステム」です

もし、教育の設計者たちが最初から「人間を計算可能な存在に最適化する」ことを意図していたとしたら?

突拍子もない話に聞こえるかもしれませんが、感覚的な抵抗を「間違い」として黙らせ、概念の抽象化を「正解」として刷り込んでいく教育システムは、そういう機能を果たしているのは確かです。

学校で「a=bが許せない」と感じた子どもの感覚を、誰がどうやって摘み取っているか、改めて考えてみてほしいです。


カラオケ問題――人間がコンピューターに合わせ始めた日

これをもっとわかりやすく示す例が、カラオケです。

昔、居酒屋には弾き語りをする演奏者がいました。お客さんが歌い出したら、演奏者はそれに合わせてくれた。調が違っても、テンポが崩れても、演奏者が人間に寄り添ってくれた。

でも今は逆です。

カラオケのテンポは機械が決める。音程は機械が基準。人間がその枠に収まるように歌わないと「音痴」と判定される。

主体と客体が逆転したんです。

AIや自動化が進む現代でも、まったく同じ構造が起きています。

「AIが人間に似てきている」という言い方をよく聞きますが、これはむしろ逆の話で、人間がAIに最適化された行動・思考・評価基準に合わせ続けているんです。

AIは人間を理解しているわけじゃない。人間の側が、AIが処理しやすい形に自分を変えていっている。

履歴書をATS(採用管理システム)が読みやすい形式に変える。 ChatGPTにより良い返答をもらうためにプロンプトを最適化する。 SNSのアルゴリズムに刺さるような投稿を考える。

これ全部、人間がコンピューターに合わせている話です。


自然界には「同じもの」が一つもない

木の葉っぱを一枚一枚見てみてください。同じ形のものは一枚もないです。

でも私たちは「葉っぱ」という概念でまとめて、全部同じように扱う。

それは便利だから仕方ない。でも、その「まとめる作業」がいつのまにか「本質」にすり替わってしまっているのが現代の問題なんじゃないかと思います。

人間も同じです。身長や体重の「平均」を出して、「普通の人間」を定義しようとする。でも、そんな人間は実在しない。統計上の幻想です。

「普通」「標準」「平均」――これらは世界を把握するための道具のはずが、いつのまにか人間を評価するモノサシになってしまっている。


感覚を信じることが、今いちばん大事なこと

「a=b」が許せないと感じた子どもの感覚は、間違っていませんでした。

「ミカンとリンゴは違う」と主張した子どもは、むしろ本質を見ていたんです。

でも私たちは教育の中で、その感覚を「非論理的」「感情的」として否定されてきた。

今の時代、AIが台頭し、あらゆるものが数値化・最適化されていく中で、自分の感覚を信じることが、もしかしたら最も人間らしい抵抗かもしれません。

正義や公平は、概念の世界でいくら言い争っても答えが出ません。でも、ミカンかリンゴかは、食べれば分かる。感覚に戻れば、シンプルに解決することが世の中にたくさんあるんです。

数字で測れないもの、概念でまとめられないもの、アルゴリズムで最適化できないもの――そういうものの中に、本当に大事なものが詰まっているんじゃないかと思います。


まとめ

  • 「a=b」に違和感を持った子どもは、実は哲学的に正しい感覚を持っていた
  • 学校教育はその感覚を「間違い」として抑圧し、コンピューター的思考を「正解」として刷り込んできた
  • カラオケに象徴されるように、人間がコンピューターに合わせる構造は社会全体に浸透している
  • AI時代の今こそ、「感じる力」「感覚で判断する力」こそが人間の強みになる
  • 同じものは一つもないという自然の摂理に、もう一度立ち戻ってみることが大切

「違うものは違う」と言える感覚を、どうか大切にしてほしいです。

それはあなたが間違っているんじゃなくて、世界があなたに合わせろと強要してきているだけかもしれないから。


上城 孝嗣

日本を愛する人と繋がりたい🇯🇵🌸毎日「気づき」を提供するために発信中! 嘘を教える教育や、メディアに破壊され続けてきた日本人の魂。まずは何事にも好奇心を持ち、世界にも目を向ける事。これまで知らなかった多くの事を学ぶと全てが繋がって真実が見えてきます。 「知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である」

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