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権威という名の幻想
ノーベル生理学・医学賞受賞者である本庶佑(ほんじょ たすく)氏が、こんな衝撃的な発言をしているのをご存知でしょうか。
「ネイチャー、サイエンスに載っている論文でも、信じてはいけない。自分の目で確かめろ。信用できる論文は1割足らず」
これ、陰謀論でも与太話でもなく、日本のノーベル賞受賞者が公の場で発言していることです。世界最高峰とされる学術誌に掲載された、あの「査読済み論文」ですら、9割は10年後には覆っているというわけです。
査読(ピアレビュー)とは、論文が掲載される前に複数の専門家がチェックする仕組みのこと。「エビデンスがある」「査読済みだ」という言葉は、科学的正しさの代名詞として使われてきました。でも、その仕組み自体が信頼できないとしたら……?
パンデミックと「エビデンス」という魔法の言葉
記憶に新しいのが、コロナ禍です。あの数年間、政治家もメディアも、口を開けば「エビデンス」「科学的知見」「専門家の見解」という言葉を連発していました。
でも今になって振り返ると、どうでしょう。当初「マスクは不要」→「マスク必須」、「ワクチンで感染しなくなる」→「感染する」、PCR陽性=感染者カウントで数字が独り歩き……数え上げればきりがないほど、「エビデンス」の中身がコロコロ変わっていたことがわかります。
本庶氏が指摘するように、そもそも論文の9割が誤りである可能性があるなら、その論文を根拠にした「エビデンス」も、当然怪しくなります。それを「科学」の権威で包んで世論を誘導していたとしたら——これはもはや、茶番以外の何物でもないわけです。
ロックフェラーと現代医学の「乗っ取り」
ここで少し歴史を遡ってみましょう。
20世紀初頭、石油王ジョン・D・ロックフェラーは、石油の副産物から合成される医薬品に商業的な可能性を見出します。そこで彼が行ったのが、当時乱立していた医学教育の「整理」です。フレクスナー報告書(1910年)を資金援助して、自然療法・ハーブ療法・ホメオパシーなどを「非科学的」として医学教育から追放し、石油由来の合成薬中心の西洋医学を標準化させていったのです。
その流れは現代にも続いていて、製薬業界とアカデミアの癒着は今や半ば公然の秘密です。NatureやScienceといったトップジャーナルも、巨大製薬・金融資本からの広告収入・寄付・研究資金に依存している構造があります。不都合なデータが出た研究は掲載されない、あるいは握り潰される——そういった「出版バイアス」の存在は、科学哲学の分野でも真剣に議論されています。
データ改竄・撤回論文の氷山の一角
実際、世界的に論文撤回(リトラクション)の数は年々増加しています。データ捏造、二重投稿、著者の利益相反……学術不正の件数は氷山の一角でしかなく、表に出ていないケースも相当数あると言われているのです。
国際金融資本が研究機関に資金を提供し、都合のいい結論を導かせ、査読を通過させ、政策に反映させる——このサイクルが回り続けている限り、「科学的エビデンス」は権力者にとって非常に使い勝手のいいツールになります。
メディアはどうかといえば、大手メディアの多くは同じ資本グループの傘下にあるか、広告収入で製薬・金融業界に依存していることが多い。だから報道が「お上のシナリオ」通りになるのは、ある意味当然の構造です。政治家も同様で、資金・票・ポストによって動く以上、科学的真実より政治的都合が優先されることは歴史が証明しています。
じゃあ、どうすればいいの?
「じゃあ何も信じるな」という話ではないのです。本庶氏が言っているのも、「信じるな」ではなく「自分の目で確かめろ」ということです。
- 一次情報(論文・データ・発言の原文)にあたる
- 誰がその研究に資金を出しているかを確認する
- 「専門家が言っている」という権威に無批判に従わない
- 反対意見や少数派の研究者の声も拾ってみる
世の中の仕組みが腐っているとすれば、それに対抗できるのは「自分で考える力」しかありません。「エビデンス」「科学」「専門家」という言葉を聞いたとき、少しだけ立ち止まって「それ、誰が作ったデータ?」と問いかける習慣——それだけで、見える景色は大きく変わってくるはずです。
参考:本庶佑氏の発言は複数のインタビュー・講演で確認できます。ぜひ一次情報にあたってみてください。











