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まずは「知る事」から始まる

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「お盆って、そもそも何のためにあるんだろう?」

子どもの頃に一度は思ったことがある人も多いんじゃないかと思います。なんとなく「ご先祖様を迎えるもの」とは知っていても、その行為の意味をちゃんと考えたことがある人は意外と少ないかもしれません。

そんな「お盆」「正月」「先祖」「魂」といったテーマを、民俗学の祖とも呼ばれる柳田国男が、太平洋戦争のさなか、空襲の恐怖に怯えながら一気に書き上げたのが『先祖の話』という本です。


71歳の老人が、爆撃の恐怖の中で書いた

1945年3月10日深夜。東京大空襲の夜、柳田は日記に記しています。「窓を開けると東の方が火の海のようになっており、3時過ぎまで起きて震えていた」と。

当時71歳。「いつ爆撃を受けて死ぬかわからない」という極限状態の中で、それでも彼は書き続けました。「遺言のつもりで記した」とも言っています。

彼を突き動かしたのは、戦争で未婚のまま亡くなっていく若者たちへの強い思いでした。「この若者たちの魂は、いったいどうなるのか。誰によって祀られるのか」という問い。そして大勢の人が亡くなる中で、死者の魂を迎え入れ先祖を祀る「家」そのものが崩れていくことへの危機感。この2つが、執筆を加速させたんです。


「先祖」って、血のつながった人だけじゃない?

この本で柳田がまず立てる問いが「先祖とは誰か」というものです。

血縁の先にいる人たち全員、と思いますよね。でも柳田の答えはちょっと違います。彼が支持するのは「自分たちの家で祀らなければ、他のどこでも祀る人がいない霊が先祖だ」という考え方。

つまり、血縁にこだわらないんです。田畑や土地を受け継いだ者が、たとえ血のつながりがなくても先祖になる。この「血縁を超えた先祖観」が、戦争で子孫を残せないまま亡くなった若者たちの魂をどう祀るか、という問いに直結しているわけです。


お盆と正月は、もともと同じ行事だった

さらに柳田の面白い主張が続きます。お盆と正月にはじつは多くの共通点があり、元々は同じ「祖霊を迎える祭り」だったというんです。

盆棚と年棚、松飾りと盆花、盆道作りに年賀の訪問……。細かく見ていくと確かに似ている部分が多い。大晦日にも「玉祭り」と呼ばれる魂迎えの行事があったことが、『徒然草』や平安時代の和歌からも読み取れると柳田は言います。

そして「お盆は仏教の行事じゃないか」という常識にも噛みつきます。「そもそも盂蘭盆を『盆』と略する語法があるのか」と。仏壇だって元は日本古来の「みたな」が仏教と結びついたものだ、と。


批判も多いけれど、問いが面白い

正直に言うと、この本は論理の飛躍や証拠の薄さを指摘される箇所も多いです。弟子の社会学者・有賀喜左衛門でさえ批判的なスタンスを取っています。

でも有賀はこうも書いています。「柳田の先祖の話は彼の傑作の一つであるが、また問題の多い策でもある。それだけに興味はつきない」と。

正解かどうかわからないからこそ、考え続けたくなる。お盆に墓参りをする時、「ご先祖様が見ていてくれている」と感じる時——その感覚の根っこに何があるのかを、一緒に考えさせてくれる本だと思います。

気になった方はぜひ、全文もどうぞ。

https://note.com/taka_peace369/

上城 孝嗣

日本を愛する人と繋がりたい🇯🇵🌸毎日「気づき」を提供するために発信中! 嘘を教える教育や、メディアに破壊され続けてきた日本人の魂。まずは何事にも好奇心を持ち、世界にも目を向ける事。これまで知らなかった多くの事を学ぶと全てが繋がって真実が見えてきます。 「知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である」

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