ジェフリー・エプスタイン事件といえば、世界を震撼させた未成年性的人身売買スキャンダルです。多くのメディアはエプスタイン本人を「邪悪な天才」「悪魔的な黒幕」として描き続けましたが、アメリカを代表する保守派メディア人タッカー・カールソン氏は、そのナラティブに真っ向から異を唱えています。彼の言葉は短く、しかし鋭いです。
「彼は邪悪で聡明な黒幕なんかでは全くない。彼自身が何かの道具にすぎないんだ。」
この一言が、エプスタイン事件の本質を別の角度から照らし出します。
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「知性は犬のような本能のみ」——エプスタインの実像
カールソン氏がエプスタインを評した言葉は非常に辛辣です。「彼の知性は犬のような本能のみだ」——つまり、洗練された世界観や政治的戦略を持って動く人物ではなく、本能と欲望に従って動くだけの人間だと言っているわけです。
確かに振り返ってみると、エプスタインが「天才的な金融家」として脚光を浴びていた時代、その実態はほとんど謎に包まれていました。彼がどのようにして巨万の富を築いたのか、公式の説明は曖昧なままです。ヘッジファンドを運営していたと言われますが、主要な顧客の名前はほとんど明かされていません。億万長者の資産管理コンサルタントを名乗りながら、その業務実態はブラックボックスのままでした。
カールソン氏はここに核心的な疑問を投げかけます。
「彼の金はどこから来たんだ?」
この問いに対する明確な答えは、今もって公式には提示されていません。
「従業員であり、ボスではない」——誰かの代理として動いていた
カールソン氏の分析でもっとも示唆に富んでいる部分が、エプスタインを「仲介役」「従業員」と位置づけている点です。
「彼は従業員であり、ボスではない。彼は仲介役だったが、他人の代理として動いていたんだ。誰の?」
この「誰の代理か」という問いこそが、事件の本丸です。エプスタインが接触してきた人物リストには、元米大統領、英国王室メンバー、著名な学者、財界の大物、政界の重鎮が並んでいます。「エプスタイン・リスト」として一部が公開されていますが、未公開とされる後半部分には、さらに大きな名前が含まれているという見方が根強く残っています。
陰謀論的観点から見ると、エプスタインのビジネスモデルはいわゆる「ハニートラップ」を体系化したものだった可能性があります。つまり、有力者を性的スキャンダルで「縛る」ことで、情報と影響力を集積するシステムです。その背後には、国家レベル、あるいはそれをも超えた勢力が関与していたのではないかという疑惑は消えていません。
「魔女狩りは真の有罪者を隠す隠れ蓑になる」
カールソン氏が指摘するもう一つの重要な点が、メディアや捜査の「焦点のすり替え」です。
「こういう話や魔女狩りは、ある意味で真の有罪者を隠すための隠れ蓑になっているんだ。」
これは非常に鋭い洞察です。エプスタイン本人、あるいはその直接の共犯者であるギレーン・マクスウェルへの注目が集中することで、「それを動かしていた力」への追及が自然と薄れていく構造があります。小物ばかりに注目させることで、大物が影に隠れていく——これはメディア操作の古典的な手法とも言えます。
実際、マクスウェルは逮捕・有罪となりましたが、彼女が「誰の代理として動いていたか」という核心については、裁判でもほとんど掘り下げられませんでした。なぜ彼女はそこまで黙り続けたのでしょうか。
金の流れを辿ると、その先には——
「金の流れを追うと、その先には必ず……」
この言葉は示唆に富みます。エプスタインの資金源を巡っては、イスラエルの情報機関モサドとの関係、ロスチャイルド家などの欧州金融資本との繋がり、さらにはトランプ元大統領をはじめとする米国有力政治家との関係など、様々な説が飛び交っています。
ただし、カールソン氏を含む多くの識者が指摘するのは、「ロスチャイルドもイスラエルもトランプも、それ自体が最上位の黒幕ではなく、やはり駒にすぎない可能性がある」という点です。これはつまり、私たちが知っている「名前のある権力」のさらに奥に、名前すら出てこない構造的な力が存在しているという考え方です。
陰謀論の世界ではよく語られる「ディープステート」や国際的な支配層の概念がここに繋がってきます。もちろん、すべてが事実であると断言することはできませんが、エプスタイン事件の不自然な点——謎の資産形成、「自殺」とされた獄中死、証人や記録の不可解な消失——は、単純な性犯罪事件では説明しきれない闇の存在を感じさせます。
見えている敵に気を取られている間に
タッカー・カールソン氏の発言が示しているのは、シンプルながら本質的な教訓です。メディアが大々的に報じる「悪人」に注目し続ける限り、構造そのものへの疑問は薄れていきます。エプスタインは確かに罪を犯しましたが、彼はシステムの「出口」にすぎなかったかもしれません。
本当に問われるべきは、「誰がそのシステムを作り、誰がそれを維持し続けたのか」という問いです。
エプスタイン・リストの残り半分が全面公開される日が来るとすれば——あるいはそれが永遠に封印されるとすれば——どちらの結果であれ、私たちは「見えていないもの」を意識し続けることが求められているのかもしれません。
金の流れを追うこと。小物に惑わされないこと。そして、「誰が得をしたか」を問い続けること。それがこの事件が残した最大の問いかけです。







