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まずは「知る事」から始まる

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昭和58年、1983年。バブル前夜のこの時代、日本の政治家たちはテレビカメラの前で、今では考えられないほど熱く、そして真剣に語っていたんです。

ハマコーが吠えた「憲法改正論」

浜田幸一、通称ハマコー。豪快な言動で知られるこの政治家が、憲法改正について語る姿は、今の政治家とはまるで別物でした。右だろうと左だろうと、賛成だろうと反対だろうと関係ない。「俺はこう思う」という信念を、言葉に乗せてぶつけてくる。

今の政治家が「検討してまいります」「しっかりと議論を」と言葉を濁す姿と比べたとき、その差は歴然としています。ハマコーの語り口には荒削りな部分もあったかもしれないけれど、少なくとも「何を言いたいのか」が伝わってきた。政治家の言葉が、ちゃんと言葉として機能していた時代だったんです。

石原慎太郎が嘆いた「他力本願な日本人」

そして石原慎太郎。彼が当時のテレビで語ったのは、戦後日本人の精神的な弱さへの警告でした。アメリカに守ってもらい、経済的な豊かさの中で自分たちの足で立つことを忘れていく日本人への、痛烈な問いかけです。

「他力本願で弱りきった日本人」という表現は、今読んでも刺さります。というより、40年以上経った今の方がより刺さるかもしれない。石原が嘆いていた「自分では何も決めようとしない」空気は、2020年代の日本においてもう一段深く根を張ってしまっているからです。

左派もちゃんと「議論」していた

さらに特筆すべきは、当時の左派の姿勢です。1983年の政治番組を振り返ると、左派の論客たちが保守派と真正面からぶつかり合っている場面が随所に登場します。批判はする。でも、それは相手の言葉をちゃんと聞いた上での批判だった。

今の政治やSNSを見ていると、左も右も「相手の言葉を聞く前に結論が出ている」ように見えることが多い。議論というよりも、平行線の罵り合い。それと比較したとき、1983年の討論には、立場を超えた「知的な緊張感」があったと言えるんです。

いつから、こうなってしまったのか

では、日本の政治とメディアのレベルはいつから落ちたのか。ひとつの転換点として挙げられるのは、1990年代のバブル崩壊後です。経済が揺らぎ、政治への信頼も崩れていく中で、「わかりやすさ」と「刺激」だけを求めるメディアの姿勢が加速していきました。

難しい議論より、わかりやすいスキャンダル。骨太な政策論争より、党首討論のワンフレーズ切り抜き。視聴率とクリック数の奴隷になっていったメディアと、それに合わせて「怒らせない言葉」を選ぶようになった政治家。この悪循環が、今の空洞化した政治言語を生み出してしまったと言えそうです。

「熱さ」を取り戻すことはできるのか

ハマコーも石原慎太郎も、決して完璧な政治家だったわけじゃないです。問題発言も多かったし、批判も当然あった。でも、彼らには「これを言わずにはいられない」という衝動があった。政治家が自分の言葉を持っていた時代の話です。

言葉が軽くなった時代に、私たちは何を失ったのか。1983年のあの熱気は、懐古趣味で終わらせるには少しもったいない気がします。あの時代の映像を改めて見直すことは、今の日本の政治に何かを問い直すきっかけになるかもしれないんです。

上城 孝嗣

日本を愛する人と繋がりたい🇯🇵🌸毎日「気づき」を提供するために発信中! 嘘を教える教育や、メディアに破壊され続けてきた日本人の魂。まずは何事にも好奇心を持ち、世界にも目を向ける事。これまで知らなかった多くの事を学ぶと全てが繋がって真実が見えてきます。 「知らないのは恥ではない、知ろうとしないのが恥である」

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