ダイアナ妃を死に追いやったとも言われるパパラッチたち。張り込み・尾行・盗撮——これって普通に犯罪じゃないの? そんな当たり前の疑問の裏に、意外と深い「構造」が隠れているかもしれないです。
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どう考えても「ストーカー」なのに
一般市民がやれば即アウトの行為が、パパラッチや週刊誌カメラマンには「お仕事」として許されています。有名人の自宅前に何時間も張り込み、車で追いかけ回し、プライベートな瞬間をズームレンズで盗み撮る——これ、ストーカー規制法や不法侵入に抵触しないのでしょうか?
法律的には「公共の場での撮影は原則合法」「報道目的は正当な理由になり得る」という建前があるです。でも正直なところ、追いかけ回して精神的苦痛を与えるという構造は、どこからどう見てもストーカー行為と同じです。
ダイアナ妃が亡くなったのは1997年。パリのトンネルでパパラッチに追われていたとされる彼女の死は、「報道の自由」と「個人の安全」の境界線について世界に問いを投げかけました。
「報道の自由」という免罪符
パパラッチが逮捕されない最大の建前は「表現の自由・報道の自由」です。民主主義社会において、権力者の監視や公益のための情報公開は保護されるべき——その理念自体は正しいです。
ところが現実には、その「自由」が芸能人のスキャンダルや私生活の暴露に使われていることがほとんどです。本来「権力の監視」のために設けられた仕組みが、エンタメ産業のコンテンツ調達ツールにすり替わっているわけです。そしてその構造を守る法律と業界慣習が、しっかりと機能しています。
🔍 ここからが本題:グローバリストの「監視装置」説
少し角度を変えて考えてみましょう。影響力のある政治家、富豪、著名人たちが「常にカメラに狙われている」状態——これは偶然の産物なのでしょうか?
陰謀論的に見れば、パパラッチは「上の連中」にとって非常に都合のいいツールです。誰かを追い回すことで精神的に追い詰め、意思決定の自由を奪う。都合の悪い人物のスキャンダルをいつでも引き出せる「証拠」を常に収集しておく。そして「言うことを聞かなければ、いつでも暴露できる」という無言の圧力を与える・・・です。
実際、ハリウッドや政界で「証拠を握られている」という話は絶えません。ジェフリー・エプスタイン事件が象徴するように、権力者の弱みを握ることが支配の道具になるという構造は、完全な妄想とは言い切れません。
需要が犯罪を支えているという現実
もうひとつ忘れてはならないのが「需要側」の問題です。パパラッチが存在できるのは、彼らが撮った写真を買う週刊誌があり、その雑誌を手に取る読者がいるからです。
「芸能人の熱愛写真」「〇〇の素顔」「密会現場をスクープ」——こういったコンテンツへの需要は、今もSNSやネット記事の形で旺盛に存在しているです。つまり、読者・視聴者もまた、この構造の共犯者と言えるかもしれません。他人の私生活を覗き見することへの欲求が、違法スレスレの行為を経済的に成立させているわけです。
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「でも有名人になったんだから仕方ないでしょ」という意見もよく聞くです。しかしそれは、有名であることがプライバシーの放棄を意味するという、非常に歪んだ論理です。影響力を持つ人間が人間としての尊厳を持てないなら、誰だって表舞台に立つことを恐れるようになります。それ自体が、社会的な損失でもあります。
私たちが問い直すべきこと
パパラッチを「面白い写真を撮ってくれる人たち」として消費するとき、私たちはその行為の背後にある侵害や恐怖、そして構造的な問題に加担しているかもしれません。
法が「報道の自由」を盾にして彼らを守り続け、プラットフォームがクリックを稼ぐコンテンツとして拡散し、読者が何気なく消費する——この連鎖の中に、「監視と支配」のシステムが静かに組み込まれているとしたら?
陰謀論と片付けるのは簡単です。でも「なぜこれが犯罪にならないのか?」という素朴な疑問を持つこと、そして情報を消費するときに「誰が得をしているのか」を考えることは、現代を生きる上でとても大切な姿勢だと思います。
パパラッチをパパラッチする——つまり、監視する側を監視するような視点を、私たちも持ち続けたいものです。







