イーロン・マスク氏がホワイトハウスで放った言葉が、世界中で波紋を呼んでいます。
「左派の根本的な道徳的欠陥は、犯罪者への共感はあっても被害者への共感がないことだ」
これは単なる政治的な批判ではなく、現代社会が抱える司法の歪みの本質を突いた言葉だと言えるでしょう。そして、この問題はアメリカだけの話ではありません。日本でも全く同じ構図が静かに、しかし着実に進行しているのです。
マスク氏が指摘した「司法の過剰介入」とは何か
マスク氏はさらに、「憲法違反の司法の過剰介入が起きている。それは人々の法制度への信頼を損ないつつある」とも述べています。アメリカでは近年、トランプ政権の政策に対して複数の連邦判事が差し止め命令を乱発するという事態が続いています。
ここで少し陰謀論的な視点も交えると、これらの判事の多くは特定の政治思想を持つ団体や人物と深いつながりがあると指摘する声も少なくありません。司法が「法の番人」ではなく、特定イデオロギーの「実行部隊」として機能しているのではないかという疑念は、保守層を中心に根強く広がっています。司法の独立性という建前の裏で、誰かの意図に沿った判決が量産されているとしたら――そう考えると、マスク氏の怒りも単なる感情論ではなく、構造的な問題への警鐘として受け取れるのです。
日本版「犯罪者優遇システム」の実態
さて、翻って日本を見てみましょう。日弁連(日本弁護士連合会)は長年にわたり「死刑廃止」を訴え続けています。凶悪な殺人事件の被害者遺族が、涙を流しながら「極刑を」と訴えても、彼らは「死刑は国家による殺人だ」という論理を展開します。一体、誰の痛みに寄り添っているのでしょうか。
さらに問題なのが「心神耗弱」による減刑・無罪のケースです。刑法第39条では、心神喪失状態での行為は無罪、心神耗弱状態では刑が減軽されると定められています。この規定自体は、精神医学的な観点から設けられたものですが、運用の実態には大きな疑問符がつきます。
過去には、精神疾患を装ったと疑われるケースも存在し、司法精神鑑定の信頼性そのものを揺るがす事例も報告されています。鑑定医によって結論が真逆になるケースさえあり、「精神疾患があれば罰せられない」という抜け道が、一部で悪用されているのではないかという疑念は消えません。
被害者は死んでいる。家族は一生トラウマを抱える。それなのに加害者は「病気だったから仕方ない」で社会に戻ってくる――。この理不尽さに、多くの国民が怒りを感じているのは当然のことです。
「人権」の旗の下に隠されたアジェンダ
ここで一歩踏み込んで考えてみたいのですが、なぜこれほどまでに「加害者の人権」が重視される流れが生まれたのでしょうか。
一部の論者は、これは偶然ではなく、社会の結束を弱め、法秩序への信頼を失わせることで、既存の国家体制を内側から崩壊させようとする意図的な動きではないかと指摘しています。「犯罪者にも人権がある」という一見正しそうな主張を盾に、被害者感情や社会正義を徹底的に後退させていく――。その結果、一般市民は「法律は自分たちを守ってくれない」と感じ始め、国家への信頼が根底から揺らいでいくのです。
マスク氏が「それを止めなければならない。行き過ぎている」と声を荒げたのは、まさにこの流れへの危機感からでしょう。
本当の「正義」とは誰のためにあるのか
法律は本来、善良な市民を守るためのものであるはずです。犯罪者の更生を否定するつもりはありませんが、更生の議論は被害者への十分な補償と正義の実現があって初めて成り立つものです。
被害者が泣き寝入りし、加害者が手厚く保護される社会は、どう考えても「正義」とは言えません。日本でも、そろそろこの歪んだ構造に正面から向き合う時が来ているのではないでしょうか。マスク氏の言葉は、大西洋を越えて、私たちにも深く刺さるものがあるはずです。







