1914年の夏、一発の銃声がヨーロッパを地獄へと変えました。
死者1,700万人。負傷者2,000万人。一世代の若者が、泥の中で消えていった戦争です。
学校では「サラエボ事件が引き金だった」「帝国主義の衝突だった」と教わります。それは間違いではありません。でも、こんな問いを立てたことはありますか?
「いったい、誰が得をしたのか?」
その答えを追っていくと、歴史の教科書には一行も載っていない、ある「影の主役」たちにたどり着きます。
その4年前——夜の闇に消えた列車
1910年11月。ニュージャージー州の駅から、一台のプライベート鉄道車両がひっそりと出発しました。
乗り込んだのはたった7人。しかしその7人が握っていたのは、当時のアメリカの富の4分の1でした。
彼らはファーストネームしか名乗らなかったです。散弾銃を小道具として持参し、「ダックハンティングに行く」と言い張りました。目的地はジョージア州沖のプライベートアイランド——ジキル島。
本当の目的は、狩りではありませんでした。
彼らがその島で1週間かけて密かに設計したものが、後に「連邦準備制度(FRB)」として結実します。今日に至るまでアメリカの金融システムを支配し続ける、あの組織です。そしてFRBが業務を開始したのは1914年11月——「銃声の8月」から、わずか3ヶ月後のことです。
両陣営に資金を流した一族
戦争が始まったとき、JPモルガンはイギリスとフランスへの融資で莫大な利益を得ました。手数料は全購入額の1%。開戦から3年で連合国に貸し込んだ総額は30億ドルを超えます。
一方、連邦準備制度の設計者の一人ポール・ウォーバーグは、アメリカがドイツに宣戦布告した1917年当時、FRBの副議長の座にありました。ドイツ生まれで、カイザーから勲章を授与された人物として。
そして彼の兄マックスはドイツに残り、ドイツの戦争遂行を資金面で支え続けていました。
兄弟が、敵対する両陣営の資金調達を担っていたのです。
これは裏切りでも陰謀でもないのかもしれません。ただ「お金には国籍がない」という、国際金融の冷徹な論理です。
ドイツ兵を殺したのは「ドイツの特許」だった
もう一つ、信じがたい事実があります。
イギリスの軍需企業ヴィッカーズ社は、開戦前にドイツのクルップ社と特許契約を結んでいました。砲弾の信管技術をドイツから使わせてもらう取り決めです。
戦争が始まっても、製造は続きました。ドイツ兵たちは「クルップ特許信管」の刻印が入った砲弾によって吹き飛ばされていきました。自国の特許技術で製造された兵器によって、です。
戦後、クルップ社は未払いロイヤリティを請求し、ヴィッカーズは示談金を支払いました。そしてヴィッカーズの取締役は騎士爵位を授けられています。
これは偶然の産物ではなかったのです。これが「システム」の正体でした。
1934年、議会はこの闇に触れようとした
第一次大戦から15年後、アメリカ上院はついに「本当の戦争の動機」を調査し始めます。
93回の公聴会、200人以上の証人、何千ページもの内部文書——「ナイ委員会」と呼ばれるこの調査は、銀行家が参戦を促した証拠、軍需企業が「戦争の不安をあおって」兵器を売りつけた手口、国際兵器カルテルの実態を次々と暴いていきました。
しかし調査は突然、打ち切られます。委員会の資金が、政治的圧力によって断ち切られたのです。
「戦争は詐欺だ」——当時最も多くの勲章を持つ海兵隊員が、そう言い切っていました。
この先に何があるのか。
ジキル島で生まれたシステムは今も動いています。戦争のたびに誰かが巨万の富を得て、そのコストは社会全体が払わされる構造は、100年後の現在も変わっていません。
本編では、この全ての繋がりをより詳細に、一次資料と歴史家の証言をもとに深掘りしています。「陰謀論」と片付ける前に、ぜひ一度、読んでみてください。







