2026年、再びジェフリー・エプスタインの名前が世界を揺るがしている。未公開だった関連文書の大規模な開示が進み、世界中のメディアがその内容を追う中、日本のニュースはどこか他人事のように静まり返っている。しかし、この問題には「日本」と深くつながった名前がある。伊藤穰一(Joi Ito)——かつてMITメディアラボの所長として世界的に知られ、現在は千葉工業大学の学長を務める人物だ。
目次:Contents
MITメディアラボの「汚れたお金」
事件の発端は2019年。著名なジャーナリスト、ロナン・ファローらの調査報道により、MITメディアラボがエプスタインから多額の資金提供を受けていたことが暴露された。その総額は52万5千ドル以上。そしてその窓口となっていたのが、当時所長だった伊藤穰一氏だった。
さらに問題だったのは「知っていてやった」という点だ。エプスタインはすでに2008年に児童への性的虐待で有罪判決を受けていた。それでも伊藤氏は彼からの寄付を受け入れ、しかも一部の記録では意図的に寄付者の名前を伏せていたとも報じられた。いわゆる「匿名寄付」として処理し、学内の倫理委員会の審査を回避していた疑いである。
MITメディアラボのオフィスには、エプスタインと伊藤氏がしっかりと並んで写った写真も残っている。単なる「知り合い」ではなく、明らかに密接な関係があったことを示す一枚だ。
批判が噴出すると、伊藤氏はほどなく所長職と教授職の両方を辞任。「判断が誤っていた」と謝罪したが、それ以上の詳細な説明はほとんどなく、表舞台からフェードアウトした——かに見えた。
日本への「軟着陸」という奇妙な現実
しかしここからが日本固有の不思議さである。2023年、伊藤穰一氏は千葉工業大学の学長に就任した。
世界的な規模のスキャンダルで辞任した人物が、なぜ日本の大学でトップに収まれるのか。しかも千葉工業大学は決して小さな大学ではない。IT・工学分野で一定の存在感を持ち、学生数も多い。そのトップに、米国で「エプスタインのお金を受け取って逃げた男」として批判された人物が座っている。
海外では「どうして日本はこんな人物を学長にできるのか」と首をかしげる声もある。日本国内での報道量と、海外での認知度の落差があまりにも大きいのだ。
陰謀論的に読むと見えてくるもの
ここからは少し「ゲスの勘繰り」も交えて考えてみたい。
エプスタイン事件の本質は、単なる性犯罪ではなく「権力者のネットワーク」だと多くの研究者・ジャーナリストが指摘している。エプスタインは政治家、財界人、学者、王族など世界のエリートたちを「島」に招き、その行動を記録していたとされる。目的は金儲けだけでなく、弱みを握ることによる影響力の維持——いわゆるハニートラップ的な構造だ。
もしそうだとすれば、MITメディアラボへの寄付も単純な「慈善」ではなかったかもしれない。テクノロジーの最前線にいる優秀な人材や、政策・メディアに影響を持つ知識人たちに近づくための投資だった可能性がある。
そして伊藤氏はその「橋渡し役」の一人だったのではないか——という見方が、一部では根強く残っている。2026年に公開された文書の中に、どんな名前や取引の記録が含まれているか。それが今、世界中で注目されている理由でもある。
なぜ日本メディアは沈黙するのか
2026年現在、エプスタイン関連の新たな文書公開は海外では大きく報じられている。しかし日本の主要メディア——テレビ、新聞、ネットニュースを問わず——の扱いは驚くほど小さい。
その理由として考えられることはいくつかある。
一つは単純な「身内への甘さ」。日本のテック・学術コミュニティの中で伊藤氏は一定の人脈と影響力を持つ。批判的な記事を書けば、業界内での関係が悪化する可能性を恐れる媒体もあるだろう。
もう一つは「前例主義」。日本のメディアは、他の大手が取り上げていない話題を単独で追うことに慎重な傾向がある。誰かが大きく書けばなだれを打って報じるが、最初の一手を踏み出すのを躊躇する。
そして三つ目——これが最も陰謀論的な読み方だが——エプスタインのネットワークは日本にも及んでいる可能性。文書の中に日本人の名前や日本の機関が含まれているとすれば、意図的に報道を抑制している可能性も完全には否定できない。「知らなかった」のではなく「知っていて触れない」という構図だ。
「悪い奴はみんなつながっている」という単純な真実
結局のところ、エプスタイン事件が示すのはシンプルな構図だ。世界のエリートたちは、表向きには競争し対立しているように見えても、裏では同じパーティーに出席し、同じ人物から資金提供を受け、互いの弱みを共有しあっている。
伊藤穰一氏が「単に判断ミスをした人」なのか、それともより深い共犯関係にあったのか——それは現時点では断言できない。しかし、問題は彼個人の潔白よりも、日本社会がこの問題を真正面から議論しようとしない構造そのものにあるのかもしれない。
2026年のエプスタイン文書公開は、まだ始まったばかりだ。これからどんな名前が出てくるのか。そして日本のメディアはいつまで沈黙を続けるのか——注目し続けることが、私たちにできる最低限のことだろう。
本記事は公開情報および報道をもとにした考察を含みます。陰謀論的観点として提示している部分は推論であり、事実認定ではありません。







