イスラエル駐在米国大使、マイク・ハッカビー氏がタッカー・カールソンのインタビューでとんでもない発言をした。
「イスラエルは聖書の権利に基づいて中東全域を占領する権利がある」 「彼らがすべてを占領したとしても、それは問題ないだろう」
……え、ちょっと待って。これ、一国の大使が公式インタビューで言った言葉ですよ? 国際法も、国連決議も、現地に住む人々の命も、全部ひっくるめて「聖書があるからOK」で片付けようとしている。
宗教的情熱と国家権力が混ざり合うと、こういう発言が平然と出てくるわけだ。
「神が与えた土地」という論理の危うさ
ハッカビー氏はアーカンソー州知事も務めた政治家であり、熱心なキリスト教福音派として知られる。福音派の一部には「イスラエルの繁栄と領土拡大がキリストの再臨を早める」という終末論的な信仰がある。つまり、彼にとってイスラエルへの支持は単なる外交政策ではなく、文字通り宗教的使命なのだ。
しかし考えてみてほしい。「聖書に書いてあるから領土を取っていい」という論理が通るなら、世界中のあらゆる宗教・民族が同じ主張を持ち出せてしまう。「古事記に書いてあるから」「コーランに書いてあるから」——そんな世界秩序が成立するはずがない。
それを米国の現役大使が堂々と口にする。これはもはや外交的失言のレベルを超えている。
ロスチャイルドとイスラエル建国——陰謀論と呼ばれるけれど
ここで少し踏み込んだ話をしよう。
イスラエル建国(1948年)の背景にロスチャイルド家の影響があることは、陰謀論でもなんでもなく歴史的事実として記録されている。1917年の「バルフォア宣言」は英国外相アーサー・バルフォアがライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに宛てた書簡として出されており、パレスチナにユダヤ人の故郷を作ることへの支持を表明したものだ。
ロスチャイルド家がシオニズム運動に資金提供し、政治的ロビー活動を行ってきたことは公文書でも確認できる。「自分たちがイスラエルを作った」という認識が一族内にあったとしても、それは誇張とは言えない側面がある。
問題はその先だ。
国家を”設計”した存在がいるとすれば、その国家の大使や政治家たちは誰のために動いているのか。ハッカビー氏のような人物が「聖書の権利で中東全域を占領していい」と言い切れる背景には、何十年もかけて構築されてきた政治・宗教・金融の複合的なネットワークがあると考えると、不思議と話の筋が通ってくる。
陰謀論と切り捨てるのは簡単だ。でも「なぜこんな発言が平然と出てくるのか」という問いには、表層的な説明だけでは答えが出ない。
傀儡という言葉が似合う人たち
ハッカビー氏を見ていると、「自分の頭で考えている人」というより「長年インストールされたプログラムを忠実に実行している人」という印象を受ける。
福音派の信仰、イスラエルへの無条件の支持、中東政策——これらは彼の中で一つのパッケージとして完結しており、疑問を差し挟む余地がない。何十年もかけて形成された世界観の中で生きているから、「全部占領してもOK」という言葉が本人にとっては至極まっとうな発言に聞こえているはずだ。
こういう人物が大使という要職に就いている現実。そしてそれを任命したトランプ政権の意図。福音派票を固めるための人事なのか、それとも中東政策の方向性を明確に示すシグナルなのか——おそらく両方だろう。
「問題ない」の一言が意味するもの
「彼らがすべてを占領したとしても、それは問題ないだろう」
この発言で最も怖いのは、その無邪気さだ。悪意をもって言っているわけではないのかもしれない。本当に「問題ない」と信じているのだ。
だがその「問題ない」の対象には、ガザの人々も、レバノンの人々も、シリアの人々も含まれる。数百万人の生活と命が「問題ない」の一言に飲み込まれていく。
歴史は繰り返す、とよく言う。だが今起きていることは、繰り返しではなく公言された計画の実行に見える。そしてそれを止める声は、国際社会の中でまだまだ小さい。
私たちにできることは、せめてこういう発言を「知ること」「問い続けること」ではないだろうか。







